曳かれ者の小唄
白んでいく視界に瞼を閉じる。脳裏をちらつく記憶に、そういえば走馬燈を見るのは二度目だな、と遠い昔のことのように思い出した。物心ついたときには、もう肉親はいなかった。血霧の里と呼ばれた時代、大方戦で命を落としたのだろう。寂しさを感じたことは一度もなかった。周りは孤児で溢れていたし、両親揃って家族仲良く――なんて家のほうが当時の霧隠れでは珍しかった。増え続ける孤児は里へ引き取られ、そして忍になるため教育された。
あの事件が起きたのは、オレがアカデミーに入学した年だった。アカデミーの卒業試験で1人の生徒がその年の卒業生100人を皆殺しにしたのだ。生徒同士の殺し合いという狂ったカリキュラムを組んでいた霧隠れもこれには参ったようで、次の年から殺し合いの試験は中止になった。――今思えば、あの事件が起こらなければ――オレの運命も変わっていたのかもしれない。
アカデミー在籍中には第三次忍界大戦が勃発し、ますます忍の価値は高まっていた。年端もいかない卒業生たちはすぐに戦場に駆り出され、そして命を散らしていった。級友の死を知っても涙を流すことはなかった。忍が里のために戦い、命を落とすことは当たり前だ。そのくらい、当時のオレには死が身近だった。
師匠に出会ったのはそんな時だ。どうして師匠がオレを選んだのかわからない。たまたま目に付いたのか、それとも“適正”があったからなのか。
師匠はオレにアカデミーでは習わなかった様々な術を教えてくれた。シャボンの技もそのひとつだ。師匠の元で修行に励んだオレは、級友たちのように命を落とさずに戦場から帰ってこられるくらいに強くなった。
ハルサメ師匠――彼は不思議な人だった。血で血を洗い、誰もが疑心暗鬼になっていた血霧の里で、彼だけが真っ白なままだった。どこの誰の子かもわからない薄汚れた子どもだったオレに肉親のような愛情を注ぎ、命の大切さを説いた。
初めの頃は戸惑った。ついこの間まで級友同士で殺し合うような環境で育ったのだ。今更そんなことを言われても理解ができない。それでも師匠は、オレがそう反抗するたびに怒り、そして涙を流した。
「大切なのは命ぞ!命を粗末にするな!」
口癖のように言われたその言葉は、凍りついていたオレの心を溶かしそして絆していった。師匠の元で過ごし、ツルギのような兄弟子と過ごした時間は幸せだった。生まれたときから孤独だったオレに家族を思わせるような場所だった。
そんな師匠からの提案を、どうして断ることができただろうか。
木ノ葉の里で九尾が暴れたと聞いたのは、師匠と出会って数年が経った頃だった。その時初めて尾獣という存在を知った。巨大な力を持つ、五大国のパワーバランスを崩しかねない怪物。人柱力という存在がいることすら知らなかった。
だから、いきなり六尾の人柱力になれと言われたときは心底驚いた。前の人柱力が瀕死の状態で、急いで代わりの人柱力を探さなければいけない――迷っている時間はなかった。師匠はただ「里のためにお前の力が必要なんだ」とオレの手を握りながら言っていた。一度封印すると二度と元に戻せないこと、人柱力が里や民からどのような扱いを受けているのか――オレには一切知らされなかった。
人柱力になり、周囲のオレへの態度はガラリと変わった。
ある者は露骨に嫌悪し、ある者は嫌われないようにと媚びを売り、多くの者はオレの中の力を恐れ、離れていった。
そんな中でも、師匠だけは何も変わらなかった。元より孤独だった身、師匠さえ傍にいてくれればそれで良かった。人柱力となり重要な任務を任せられることも誇らしかった。どんなに周囲に嫌われようとも、オレは里のために役立っている。そう信じていた。
全てが崩れ去ったあの日が訪れるまでは。
食事に薬でも盛られたのであろう。目が覚めると鎖に繋がれ、暗部の人間がオレを囲んでいた。
何が何だかわからなかった。恐怖と怒りで叫び、師匠に問いかけるも師匠は何も返してくれなかった。符の貼られた腹に手を当てられたとき、全てを理解した。
オレは器だ。六尾という兵器を入れる、ただの器。その器が不要になったから力を取り出す……前任の人柱力と同じ事だ。
どうして気づかなかったのだろう。里のためと大義を掲げても、実際は国家間のパワーバランスを保つ道具にされただけだ。オレは里を護る英雄に選ばれたんだと思っていた。
何を誇らしく思っていたんだろう。“適正”のある者を使い、用済みになったら消し去る。師匠は孤児の中から“適正”のあるオレを選んだだけなのに、師と、家族と、心から慕っていたなんて。
オレの中の怒りが激しくなるほど、オレの中の力も強まっていった。腹から溢れた怪物はどんどん膨れあがり、建物ごと周囲を破壊した。
正気に戻ったときには、全て破壊し尽くされていた。埃と血の匂いが充満する中で、オレだけが生き残っていた。
――何が英雄だ
踏み出した足の先に、見慣れたシャボン筒が転がる。
――何が命だ
それを踏みつぶすと、血飛沫のようにシャボン液が飛び散った。
凄惨な現場を離れ、あてどもなく歩く。ふいに右手に額宛てが当たった。それを手に取り苦々しく唇を噛みしめる。
「アカデミー卒業おめでとう。君がウタカタだな」
「……誰だよ、アンタ」
「私の名はハルサメぞ。――どうだ、ウタカタ。今日から私の弟子にならないか?お前ならきっと立派な忍になれる。……ほら、卒業の証の額宛てだ。大事にするんだぞ」
――何が、師匠だ
森の奥の断崖に、額宛てを思い切り投げ捨てた。涙が糸を引き顎の先からしたたり落ちる。喉は熱く腫れ上がり、獣のような慟哭の声が辺りに響き渡った。
もうオレは何も信じない。里も、想いも、師弟の絆も。