Let's go trick or treating!!

 宙に浮かぶジョウロを見上げながら、ホタルはため息をついた。今日は朝から箒を探しに森へ行ったけれど、結局見つからなかった。これも自分の魔力が足りないせいなのだとしたら、ますます落ち込んでしまう。昨日作った薬を飲んでも、もし箒が見つからなかったら……。
 そんな想像を巡らす頭を、ホタルはぶんぶんと横に振った。落ち込むなんてらしくもない。あの箒は、自分がお爺様から譲り受けたものだ。それに、私にはウタカタ様がついている。自分を励ますように頷きながら、ホタルはちらりとウタカタの様子を覗いた。いつものように眠そうな瞼が、今日はやけにくっついて見える。
 不思議な人、とホタルは口の中で呟く。ホタルの正体が魔女だと知っても、ウタカタは動じることはなかった。それに、今もこうして一緒に箒を探してくれている。
 初めて会ったときから、優しい人だとは思っていたけれど、ホタルの中には新たな感情が生まれようとしていた。もっと、あの人のことが知りたい。素性の知れない男の顔を見ながら、ホタルは考えた。そういえば、どうしてウタカタ様は、あの日森の中にいたのだろう。あの時にウタカタ様が言ったように、夜の森に人間がいるのは不自然だ。夜の森は魔物の巣窟。普通の人では魔物に見つかった瞬間、すぐに身体を捕られてしまう。
 もしかして、ウタカタ様も魔物なの……?
 頭に浮かんだ考えに、ホタルは思わず笑いをこぼした。だとしたら、随分と優しい魔物にホタルは出会ったことになる。ウタカタがどんな人であろうと関係ないと、ホタルは視線をジョウロに向けた。水やりを終えて家に帰ったら、薬が完成しているはずだ。それを飲んで、もう1度箒を探しに行こう。そうして、ウタカタがどこから来たのか聞いてみよう。
 ジョウロを片すためにハーブ畑に近寄った時、ホタルははたと閃いた。そうして一房の黄色いハーブを手に取ると、そっとポケットに忍ばせた。

 ジョウロを片手に鼻唄を歌うホタルの後ろで、ウタカタは自分の爪を見つめた。鋭く尖った長い爪を睨み、音を立てて舌打ちをする。また、この時期が来てしまったと、ウタカタは空を仰いだ。
 青空に浮かぶ太陽のように、月もまた、丸みを帯びようとしている。なんとかあの日が来るまでに箒を見つけなければ。ウタカタは唇を噛みしめ、ホタルの背中を見つめた。この娘を巻き込むわけにはいかない。自分とは、なんら関係のない娘だ。傷つける前に、離れなければいけない。
 視線に気づいて振り向いたホタルに、ウタカタは慌てて目を逸らした。そんなウタカタの様子にホタルは首を傾げ、また前を向いて鼻唄を歌い始めた。

 家に着くと、ホタルは真っ先に小瓶をしまっていた棚へと走った。取り出した小瓶を窓の光に透かし、中の様子を確認する。

「これなら、もう飲んでも大丈夫ですね。ウタカタ様、これで箒も見つかりますよ!」
「そりゃあ、めでたいな」

 ほっとしたように笑みを浮かべたウタカタに笑顔を見せると、ホタルは小瓶の蓋を開け、口を近づけた。
 その時だった。扉を叩く音がし、ホタルの動きが止まる。ウタカタと目を合わせると、ホタルは音がした方向に目をやり、不思議そうに首を傾げた。

「どなたでしょう?お客さんなんてめずらしい……」

 思いがけない来訪者に、ホタルは小瓶の蓋を閉めて扉の方へと向かった。ウタカタも少し離れてホタルについていき、後ろから様子を覗う。

「こんにちは。ちょっとお尋ねしたいのですが」

 ホタルが扉を開けると、そこには黒装束の男が立っていた。顔色の悪い肌に、黒い目玉がぽっかりと浮かんでいる。まだ昼間だというのに、男の周りからは夜の空気が漂っている気がした。男の雰囲気にたじろぎながらも、ホタルはすぐに笑顔を浮かべて男に応えた。

「はい、なんでしょうか?」
「ここは魔女の家だと聞いたのですが、間違いありませんか?」
「ええ、そうですけど……」

 ホタルの答えを聞いて、男はにやりと薄気味悪い笑みを浮かべた。そうして金貨の入った小袋を差し出すと、青紫に染まった唇を開く。

「それは良かった。実は、私は病に侵されてしまって……もう余命幾許もないんですよ。それを憂えていたときに、魔女の秘薬の噂を聞きましてね。その薬を飲めば、どんな病でも治ると聞きました。どうか、私にその薬を恵んではくれないでしょうか?」

 男の言葉に、ホタルは眉を垂らした。男の顔色が悪いのも、生気が感じられないのも、全部病のせいだったのか。それを知ったホタルは、男を不気味に思ってしまった自分を恥じ、そして手の平で握っていた小瓶を差しだした。

「どうぞ。これが魔女の秘薬です。ちょうど良かった。さっき出来上がったばかりなんですよ」

 微笑んだホタルに倣うように、男も笑みを浮かべ、小瓶を受け取った。そうして頭を下げると、静かに扉を閉めて姿を消した。

「おい、良かったのか。あの薬」

 男とのやりとりを見ていたウタカタは、ホタルの傍へ寄り、眉を顰めた。そんなウタカタとは反対に、ホタルは朗らかな笑みを浮かべて、ウタカタを見つめ返す。

「良いんです。薬はまた作ればいいんですから。それに、私の作った薬で人を救えるなんて、初めてで……だから、嬉しいんです。魔女試験には、まだ合格していないけれど、これで少しだけ白魔女に近づけました!」

 喜びを噛みしめるような表情をするホタルに、ウタカタは目を丸くした。ホタルの健気な様子に、思わず手を伸ばしそうになったが、そこでウタカタは鋭く尖った自分の爪に気がついた。触れてしまえば、ホタルを傷つけることになる。伸ばしかけた手を握りしめ、ウタカタはホタルから背を向けた。そしてわざと聞こえるように舌打ちをし、睨みつけるように目を細めてホタルを振り返る。

「ったく、勘弁してくれよ。箒が見つかるって言う話だから、薬作りにも協力したんだ。それを人にあげちまうなんて」
「あ……、すみません。ウタカタ様に迷惑をかけるつもりは、私……」
「今すぐ探しに行くぞ。このまま見つからなかったら、お前だって困るだろう。さっさと見つけて、さっさとオレはここを出て行く」

 ウタカタの後ろ姿を追いながら、ホタルは萎れたように肩を落とした。
 ずっと傍にいたいと思っていたけれど、ウタカタにとってその考えは、迷惑以外の何者でもないらしい。箒が見つからないと試験が受けられないとわかっていながらも、ウタカタと離れることになるのならば、いっその事見つからなければいいと、そんな不謹慎な考えさえ浮かんでしまった。

「わたしの、ばか」

 ホタルの呟きを聞きながら、ウタカタはまた舌打ちをした。世の中はどうも上手くいかない。独りで生きていこうと決意をすれば、そうはさせないと娘が付きまとい、娘に手を伸ばそうとすれば、尖った爪が鋭く娘の命を狙っている。
 あと、3日か。
 尖った爪を牙で噛み砕くと、ウタカタは小さく呟いた。砕けた爪はすぐに伸び始め、また元のような鋭利な先を煌めかせている。今度の満月は、嫌に強力らしい。まだ明るい青空を仰いだあと、ウタカタは足の動きを早めた。何としてでもその日までに見つけなければならない。自分のためにも、ホタルのためにも。



 フランケンから箒を受け取ると、男は満足げに顎先を上げた。手中に転がした魔女の秘薬は、月明かりに照らされて妖しげな光を放っている。

「よくやった。あとは、娘にあの男の心臓を与えるだけだな」

 小瓶の蓋を開けると、男は女王に盃を手向けるように、夜空に向かって腕を伸ばした。俺の勘が正しければ、あの男は魔物に違いない。それも闇から生まれた魔物ではなく、人工的に作られたものだ。それが俺たちにとってどれほど邪魔な存在であるかは、わざわざ口にするまでもない。

「娘が殺し損ねたら、お前たちがあの男を仕留めろ。方法はなんでもかまわない。ただし、心臓だけは残しておけよ。魔女への生け贄には、なり損ないを使うのが調度良いからな」

 魔物たちが頭を下げたのを見届けて、男は小瓶の薬を一気に飲み干した。男の瞳が赤く染まり、牙が獲物を狙うように唇の隙間から威嚇する。外套を広げると、蝙蝠が奇声を上げて空を覆い尽くした。闇に紛れた魔物たちは、獲物を狙いに町へと降りていく。