Have yourself a creepy little evening.

 おどろおどろしい色の煙が、部屋の中に充満する。髑髏の装飾が施された瓶の中で、不気味な色の泡が弾けた。木のへらで掻き回す度に、何かの嘲笑のような叫び声が瓶の底から響いてくる。パチパチと燃える薪の音が、ホタルの唱える呪文と呼応した。火は勢いを上げ、瓶の中の液体は粘り気を帯びて溢れ出す。

「魔女の秘薬……か」

 その光景を見ながら、ウタカタは頬杖をつきながら呟いた。魔女の秘薬は万能薬。不治の病も、どんな大怪我も、時には恋の病ですら、いとも簡単に直してしまう。魔物が使えば魔力を高め、時には媚薬として、闇市に出回ることさえある。

「私が上手く飛べないのも、箒が見つからないのも、全部私の魔力のせいだと思うんです。だから、この秘薬を飲めば、きっと私も一人前の魔女になれますよ!」

 薬の材料と古びた本を掲げ、ホタルは嬉しそうにはしゃいでいた。
 しかし、だ。いくら万能薬だからといって、トカゲの燻し焼きやらカエルの生き肝やら、さらには生きたネズミまで使っている薬を、よく口にしようとするな。ウタカタはそんなことを考えながら、部屋に漂う臭気に鼻を押さえる。瓶から溢れた液体は、スライム状の生き物のように床を這いずり回り、啾々と声を出していた。それらを踏みつけないように足を上げ、ウタカタは椅子の上で小さく蹲る。

「ったく、勘弁してくれ。こんな薄気味悪い儀式に付き合わせて」
「すみません。もう少しで終わりますから、それまで我慢してください」

 瓶を掻き混ぜながら、ホタルは指先で本のページを捲った。ひとりでは不安だからと付き添いを頼んだホタルに付き合ったはいいが、ウタカタは目の前で起こる現象に辟易していた。中でも瓶に入れられた生き物たちの死骸は、一生忘れられないほどに強烈な光景として、ウタカタの目に焼き付いていた。
 けれども箒から吹き飛ばされるほど力の弱い魔女見習い。放っておいたら何をしでかすかわからない。ウタカタは椅子によじ登ろうとするスライムを指先で弾き、真剣な表情で瓶を見つめるホタルに視線を向けた。こうしていれば、魔女に見えないこともない。

「出来ました!これで一晩寝かせれば、ついに完成です!!出来上がったら、ウタカタ様もお飲みになりますか?」

 小瓶に入れられた紫色の液体を見て、ウタカタは無言で首を振った。瓶に残っていた液体は、ホタルの合図でしわしわと墨のように固まってしまう。

「あんなに作っていたのに、もうこれは使えないのか」
「あの量から作られる秘薬は、この小瓶の量だけです。だから、魔女の秘薬は希少価値が高いんですよ」

 小瓶を棚にしまうと、ホタルは床に散らばったスライムの残骸を手にとった。さっきまで床を這いずり回っていた奇怪な生き物は、皆同様に黒く固まっている。

「さてと、後は片付けですね。ウタカタ様も、手伝ってください」

 にっこりと笑顔で言われ、ウタカタは断れるはずもなく、床に散らばる塊を拾い集めた。ホタルも瓶の前に戻り、薬の残骸を片すために、瓶を持ち上げる。
 その様子を、窓の外から黒猫とゴブリンが覗いていた。昼の明るさに似合わない醜悪な要望を指弾するように、日の光は彼らを煌々と照らしつける。

「ったく、魔女の様子を偵察するのはいいが、この明るさには慣れねーな。やっぱり俺は、夜の暗闇の方が性に合ってる」
「文句を言うな!これもあのお方の命令なんだ。嫌ならさっさと降りればいい」

 眉をつり上げるゴブリンに、黒猫はふん、と鼻先を上げた。

「俺はあのお方の命令に文句を言っているんじゃねぇ。こうも明るいと、お前のその不細工な面がはっきりと見えて吐き気がするんだ。それが気にくわねーって言ってるんだよ」
「なんだと!?」

 声を荒げたゴブリンの言葉を躱すように、黒猫は窓の縁から飛び降りた。そうして尻尾の先を伸ばすと、背筋を反らしながら太陽を睨みつけた。

「この忌々しい光とももうすぐお別れだ。魔女を捉え、あの日が来れば、世界は永遠に闇に包まれる。そうすれば、世界は俺たちの天下だ。そうだろう?」

 黒猫が振り返ると、ゴブリンはああ、と短く言葉を返した。部屋の中からは、娘の楽しそうな声が聞こえてくる。ゴブリンも窓の縁から手を離し、生温い地面へと足をつけた。黒猫と目を合わせ、それから不敵に笑い合う。

「さあ、さっさとあのお方に報告して、俺たちゃ次の仕事に取りかかろうぜ。あの日まではそう時間がねぇんだ」

 ゴブリンが醜く笑い声を上げ、黒猫も短く鳴き声を上げる。その声を、ウタカタの耳は鋭く捕らえたが、瓶をひっくり返してしまったホタルに気をとられ、そんな声を聞いたことすら忘れてしまった。
 日はいつか陰る。闇はいつでも後ろをついてくる。魔物たちの歌声は、昼の間も町を漂う。



「魔女見習い、だと?」

 ゴブリンと黒猫の報告に、男は肩眉を上げた。日はとうに陰り、墓場には魔物たちの持つ蝋燭の灯が揺らめいている。木々には蜘蛛の巣が巻き付けられ、所々に蝶の死骸がリボンのようにぶら下がっていた。宴の準備は、着々と進められている。
 鋭く尖った男の眼光に、ゴブリンは慌てて頭を下げた。黒猫は顎を引いて、上目遣いに男の顔色を伺う。

「どういうことだ。ちゃんとその女は、あの一族の末裔なのだろうな」
「へ、へぇ。それには違いありません。ただ、魔女になるには魔力が足りないとかで、今日も薬を作っていて……」

 ゴブリンの話を聞きながら、男は親指で顎をなぞった。今の話が本当なら、男が眠っている千年の間に、一族は廃れてしまっていることになる。なんと不都合な、なんと忌々しい。不愉快な事態に、男はため息をついた。しかしすぐにいつもの笑みを口元に浮かべ、頭を下げたままのゴブリンを横目で見る。

「まあいい。魔力が足りないのなら、それを補えばいいだけのことだ。しかし、あの薬を使っても、さほど効果はないだろうな。話を聞くかぎりだと、女は箒にも満足に乗れないらしい。もっと確実に、女に魔力を与えなければ……」

 何かを思案するように、男はぺろりと唇を舐めた。その様子を見て、ゴブリンはほっとしたように頭を上げる。

「そう言えば、娘の傍に、ここらでは見慣れない男がいました。普通の人間のようにも見えましたが、何やら娘とは親しげで——」

 黒猫が話し終える前に、男は再び眼光を尖らせた。それを見たゴブリンはまた額を地面に押しつけ、黒猫も思わず尻尾を太く膨らませる。

「男……?魔女になるには、処女でなくてはならない。その女にはもう男がいるのか?」
「その男なら、俺が見ました」

 眉を釣り上がらせる男に、ゾンビが手を上げた。腐りかけた眼球を指で擦りながら、曲がった口をゆっくりと開く。

「男の素性はわかりませんが、どうやら女と一緒に箒を探しているらしくて……。箒が見つかるまでは、娘と一緒に行動を共にすると、森の中で言っていました」

 数日前の光景を思い出し、ゾンビはまた眼球を擦る。あの日は立派な三日月だった。そして、女の悲鳴がよく聞こえた。今思えば、あの悲鳴は娘のものだったのだろう。

「そうか。その男が何者であろうと俺たちの計画に関係はないが、些か邪魔ではあるな……。よし、明日俺が様子を見に行こう」
「そんな!頭自ら出向くまでもありません。ここは俺たちが……」
「お前たちが行っても、その容姿じゃあ、すぐに魔物だとバレる。それに、その男について、何だか匂うんだよ。長年眠っていた吸血鬼の勘……とでも言うのかな」

 フランケンの提案を払いのけ、男は不敵に口から鋭い歯を光らせる。赤く染まっていく瞳に、4体の魔物は小さく悲鳴を上げてその場に平身低頭した。
 男の笑い声が、夜の墓場に響き渡る。女王の笑みは、もうすぐ完璧な円を描こうとしていた。闇が近づいてくる。魔物たちの足音が、ハロウィンのそれと重なる。誰かが呟いた。「ハロウィンはすぐそこだ。娘の命はやがて終わる」
 白々と明けていく夜の帳に合わせて、魔物たちは歌声を響かせる。「魔女の涙は、過激な媚薬。その血を飲めば、千年の命。やわらかな肉は、木苺に負けない甘美な口溶け。さあ、魔女狩りを始めよう。ハロウィンはすぐそこだ」