Shadows of a thousand years rise again unseen.
真夜中の足音が、墓場に響き渡る。蝙蝠が空を舞い、腐った蔓の端が風にのって生き物のように蠢いた。気配を感じて、黒猫が毛並みを逆立てる。しかしすぐにしゅんと丸くなり、喉を鳴らしながら顎を地面にくっつけた。ゴブリンは、そんな黒猫の横で、口に手を当てながら様子を見守る。轟々と、地面が身を震わせて騒ぎ始めた。地響きにゾンビは地中から飛び出し、フランケンは女王への祈りをやめる。
三日月の光をスポットライトのように浴びながら、十字架の描かれた棺桶が地面から這い上がってきた。蝙蝠たちはざわめき、奇々怪々な鳴き声を響かせる。カタカタと動く棺に、ゴブリンが小さく悲鳴を上げた。宴を前に動いていた魔物たちが、棺の周りに集まり始めていた。
夜の女王は、その光景にいっそう微笑む。棺が開き三日月の光を浴びると、眠っていた男は、ゆっくりと目を覚ました。
森の中を歩きながら、ホタルはため息をついた。トンガリ帽子の先のように頭を垂らし、暗く先の見えない足下を見つめる。そんなホタルの様子を見ながら、ウタカタは黙ったまま首を横に振った。三日月の光は、捜し物をするにはあまりに頼りない。手に提げた蝋燭の長さも、だいぶ短くなっていた。昨日と変わらぬ結果に、ウタカタは深く息を吐き出す。
「まったく、お前の箒は、とことんじゃじゃ馬のようだな。こんなに探しても見つからないなんて、一体どこまで飛んでいったんだ」
言葉を受けて尚更俯くホタルに、ウタカタはまずいと冷や汗を垂らした。面倒事に巻き込まれたのは不満だが、この娘を泣かしたいわけではない。どうしたものかと思案するように頬を掻きながら、三日月に助けを求めた。不敵に笑う女王様は、不器用な男に答えなどくれない。
「……代わりの箒はないのか?試験の日までに見つからなければ、新しい物を用意しなけれりゃならない」
やっと出たウタカタの言葉に、ホタルは立ち止まった。ゆっくりと上げた顔に、蝋燭の灯が淡くゆらめく。
「箒なら、いくらでもあります。けれど、あれじゃなきゃダメなんです。私には、あの箒でなければ……」
しんと静まり帰る森に、蝋が溶けていく音だけが聞こえた。不意に足下に地鳴りのような振動を感じたが、ウタカタはそれよりもホタルの様子が気になった。出会ってからしばらく、コロコロと変わる表情を見てきたが、こんなに切ない顔は初めてみた。儚げに揺れる蝋燭の灯が、その色をいっそう際立たせる。やわらかく触れ合ったホタルの睫の先から、ウタカタは目を離せなくなった。手を伸ばしたくなる衝動を抑えて、ウタカタは意識的にホタルから視線を逸らした。
「何か、理由があるのか?あの箒でなければいけない理由が」
ウタカタの問いに、ホタルは無言で頷いた。閉じかけていた瞼を開き、夜空に浮かぶ三日月を見上げる。
「あの箒は、お爺様の形見なんです。小さい頃に両親を亡くしてから、私の肉親はお爺様だけでした。魔法の手ほどきも、魔女になる修行も、全部お爺様から受けて……けれど、1年前にお爺様は亡くなってしまいました。だから、あの箒は、とても大切なものなんです」
三日月に祈りを込めるように、ホタルはそっと目を閉じた。震える口元は、涙を流すよりもずっと悲しみを感じさせる。言葉を返せないウタカタの様子を感じ取って、ホタルは弱々しい笑みを向けた。帽子の先が、それに合わせて傾く。
「なんて、箒を失くしたのも、全部自分のせいなんですけどね。お爺様への恩返しのためにもと、毎日頑張ってきたけれど、本当はもうダメなのかもしれない。箒にも見捨てられて、私はもう、魔女になんか……」
「そんなことはない」
ホタルの言葉を遮るように、ウタカタは強く声を出した。はっとするホタルの目を見つめながら、ウタカタは言葉を続ける。
「諦めるなんてお前らしくもない。お前は、魔女になる資格を持っているんだろう?だったら、きっとなれるはずだ。魔法とやらはオレにはよくわからないが、最後までやってみればいい。それに、箒はオレも探してやると言っただろう」
ムキになるように語気を強めた自分に、ウタカタは我に返って舌打ちをする。自分のことでもないのに、何をそんなに必死になっているのだろう。気まずそうに顔を歪めるウタカタとは反対に、ホタルは優しく微笑んだ。三日月の嬌笑とは違う、心から浮かんだ澄んだ笑みを、蝋燭の灯が包み込む。
「ありがとうございます。励ましてくださって。やっぱり、ウタカタ様は優しいですね」
「やめてくれ。オレが優しいだなんて、気味が悪い」
「そんなことはありません。ウタカタ様は、とっても優しいお方です」
トンガリ帽子を被り直し、ホタルはウタカタに向かってにっこりと微笑んだ。その顔を見て、ウタカタは下唇を曲げながら顔を逸らす。
「さあ!蝋燭の量も少なくなってきましたし、今日は家に戻って、明日また探しましょう。ウタカタ様が一緒なら、きっと見つかるはずです!」
元通りというように明るくなったホタルを見ながら、ウタカタは顔を逸らしたまま笑みをこぼした。そうしてすぐに口元を押さえて、自分の表情にはっとする。自然と笑みが浮かんだのは、いつ以来だっただろうか。あの事件から、この身体になってから、ウタカタは自分で覚えている範囲では1度も、微笑んだことはなかった。
絆されていく感情とは裏腹に、ウタカタの気持ちは薄く曇っていった。気持ちを許してはいけない。オレの居場所など、もうどこにもないのだから。何度も繰り返した現実を唱えながら、ウタカタはホタルの後を追いかける。遠くでは、蝙蝠たちの囀りが木霊していた。それに気づかないまま、2人の影は家路へと消えていった。
棺の中から目覚めた男は、集まった魔物たちを見渡して満足そうに微笑んだ。今年も、あの夜が近づいてくる。男は尖った歯を撫でるように舌先を動かし、足下まで伸びた黒い外套を片手で翻した。男の不気味な笑みに、フランケンが慌てたように頭を下げた。それに倣って、他の魔物たちも次々に跪いていく。
「さあ、宴の準備を始めようか」
男の声を合図に、蝙蝠が一斉に飛び立ち、蜘蛛たちは巣をレースのように繋ぎ始めた。墓場を動き回る魔物のひとりが、蹌踉めいて目玉を地面へとこぼした。それを飾りだと勘違いしたトカゲが、自分の尻尾をリボンに木の枝に結びつける。慌ただしく動き始めた魔物たちの中で、4体だけが呆然と立ち竦んでいた。男はその魔物たちをひとりひとり眺めながら、低く声を響かせる。
「お前たちには、俺から仕事を授けよう。宴を盛り上げる、重要な仕事だ」
男の言葉に、4体の魔物は再び頭を地面へと下げた。夜を彩る女王の微笑みは、だんだんと丸みを帯びていく。
長い夜が明けていく。けれど、魔物たちは動きを止めない。千年の眠りから覚めた男は、不気味な笑みを絶やさないまま、眠りにつく女王に向かって、そっと頭を垂らした。