May the magic of Halloween be with you.
ホタルの匂いを追いながら、ウタカタは教会へと辿り着いた。東の方では、空が微かに白んでいる。ウタカタは顔に付いた血を拭い、教会の扉を開けた。月は玉座から退き、地上に届く月影も弱々しいものになっている。ウタカタの爪も、人間のそれと変わりない長さまで短くなっていた。
シラナミを倒す際に使ったディルの香りが、ウタカタの香りを包み込む。赤い絨毯の敷かれたチャペルの先に、探し求めていた姿が横たわっていた。
「ホタル!!」
ウタカタは声を上げ、ホタルに駆け寄った。しかし時は既に遅く、ホタルは青白い頬を上に向け、床に倒れているだけだった。
「ホタル、しっかりしろ。ホタル」
力の抜けた身体に触れると、ウタカタは絶句した。温かかったはずのホタルの身体は、氷のように冷たく、息を失っていた。ウタカタは歯を食い縛り、ホタルの身体を抱き寄せた。だらりと垂れた首筋に、2つの小さな噛み痕が残っていた。ウタカタはその痕を袖で何度も拭い、ホタルの顔を見つめた。
長い睫が、ステンドグラスから差し込む光に照らされ、頬に影を作っている。青白くなった頬は生前と変わらぬように、ホタル愛らしい顔立ちを作っていた。ウタカタはホタルの髪を撫で、冷たい頬に手をあてた。ウタカタの熱を吸い取るように、ホタルの身体は指先を冷やしていく。
どうして、こんな気持ちになるのだろうか。
情が湧かないようにと気をつけていたが、そう意識していた時点で、ウタカタにはもう、ホタルの存在が必要不可欠だったのかもしれない。
ウタカタは瞼を閉じて、ホタルの姿を思い描いた。無邪気に笑い、自分の周りで動き回るホタルのことを、いつから愛しいと感じていたのだろう。別れの言葉も碌に交わせなかった。ホタルから向けられる愛情に気づかぬようにと、必死に背を向けていた。
ウタカタは床に落ちていた腕を掴み、ホタルの掌を自分の胸にあてた。シラナミに付けられた傷は、疾うに塞がっている。この心臓をホタルに渡してさえいれば、ホタルは助かったのかもしれない。名のある一族の末裔だ。本物の魔力を手に入れれば、あんな男、造作もなかっただろう。
ウタカタはホタルの腕を離し、かわりにローブの中に手を入れた。シラナミが渡した銀のナイフが、そこにはまだ残っている。人体実験の末、巨悪な力を手に入れた自分にとって、愛なんてものは無縁なものだと思っていた。信じられるものは何もない。救うことも救われることもないのだと、勝手に決めつけていた。
「ホタル」
ホタルの頬を撫でて、ウタカタは優しく名前を呼んだ。今ならまだ、間に合うかもしれない。今夜はハロウィンだ。女王の力が消えてしまう前に、奇跡に賭けてみよう。
ウタカタはナイフの刃を左胸に向け、先端をかるく肌にあてた。オレの命を、お前に託そう。ウタカタはもう1度ホタルの名を呼ぶと、色を失った唇に、そっと自分の唇を押し当てた。白んだ東の空が、教会にも光を注ぎ込む。ウタカタはホタルを抱き寄せると、ナイフを握る手に力を込めた。
ホタル、愛している。
朝日の注ぐ教会に、ウタカタの告白が、静かに響いた。
ゆっくりと瞼を開けると、ホタルはそのまま数回瞬きをした。教会の中は闇に包まれていたはずなのに、目の前は明るい。目玉だけ動かして辺りを見回すと、見覚えのある瞳が自分を見つめていた。
「ウタカタ、さま?」
ホタルの声を聞くと、ウタカタは目を大きく見開いた。その顔に薄く血の跡が残っているのを見つけ、ホタルは手を伸ばす。
「血が……、ウタカタ様、どこか、お怪我を」
ホタルは首を動かし、そしてウタカタの胸に突きつけられた銀のナイフを見つけた。その姿にホタルは飛び起き、慌ててナイフをウタカタの手から奪い、遠くの方へと投げ捨てた。
「ウタカタ様!なぜこのようなことを!!」
大きな声を出すホタルを見つめ、ウタカタははっと意識を取り戻した。ナイフはまだ、心臓へと届いていなかった。それなのになぜ、ホタルは生きているのか。
ウタカタはナイフを握っていた手をホタルの頬にあて、その感触を確かめた。温かい。朝日のせいじゃない、ホタルの、命の温かさだ。
「ウタカタ様……」
ウタカタに触れられ顔を赤くするホタルを見て、ウタカタはああと苦笑した。今夜はハロウィンだ。オレが胸にナイフを突き立てた瞬間は、まだ女王は夜空に浮かんでいた。
魔物の心臓を手に入れるというのは、こういうことなのかと、ウタカタは眉を垂らした。どこぞの御伽噺のような展開に、緊張の糸が解けてしまう。けれど、これでいい。いくら拍子抜けだろうと、ホタルは生きている。今夜はハロウィンだ。女王の気まぐれでなり損ないの願いが叶えられても、誰も文句は言わないだろう。
「ウタカタ様、あの……」
「ホタル、お前が無事で良かった」
「え?」
「オレの命は、これから先、お前と共にあるんだ」
ウタカタはホタルの身体を抱きしめ、そしてもう1度愛の言葉を囁いた。驚いて身を固くするホタルの顎を掴み、優しく唇を重ねる。目を見開いていたホタルも、やがてその温かさに身を委ね、瞼を閉じてウタカタの背中に腕を回した。
再び玉座に座った太陽が、教会に光りを降り注ぐ。色とりどりのステンドグラスの明かりが、2人の上に、煌々とこぼれ落ちていた。