To my dearest little pumpkin...
ジャック・オ・ランタンと蝙蝠の浮かぶ空を、ホタルの乗った箒が突き進む。慣れない箒の運転も、今のホタルに気にしている余裕はなかった。ホタルの少し後方で、シラナミが綽然とした笑みを浮かべて空に浮かんでいた。焦るホタルを煽るように、ジャック・オ・ランタンは一斉に歌い出す。
「魔女の涙は、過激な媚薬。その血を飲めば、千年の命。やわらかな肉は、木苺に負けない甘美な口溶け。さあ、魔女狩りを始めよう。今夜はハロウィンだ!!」
ジャック・オ・ランタンの輪唱に、ホタルは恐怖を感じて身体を震わせた。
どうにかして、あの男から逃げなければならない。生前、お爺様から聞いていた、一族から勘当された男の話。シラナミは、魔術を自分の良いように使い、お爺様の願いであった人間と魔物の共存を妨げた。お爺様はシラナミを封印したけれど、その戦いのせいで、お爺様は寿命を削ることになってしまった。
流れた涙を、ホタルは服の袖で拭う。お爺様は町を守るために死期を早め、お母様は魔物であるお父様と交わったことで、私を産んですぐに亡くなってしまった。
それでも、お爺様は言ってくれた。人間と魔物の共存が夢である自分にとって、ホタルはその希望なのだと。
ホタルは唇を噛みしめて、町の高台にある十字架を見つめた。自分が死ぬわけにはいかない。私は、お爺様の、夢なのだから。
鉄の匂いの漂う森の中で、ウタカタは手頃な葉を毟り、爪を拭った。上の方からは、魔物たちの血が、ぽたぽたと雨のように落ちてくる。
ウタカタはその先にある満月を睨むように顔を上げ、草陰に身を潜めた。ハロウィンに浮かぶ丸い月は、普段よりも魔物の力を高めている。
これ以上は危険だと、ウタカタは自分に言い聞かせた。爪の間には、まだ魔物に肉が挟まっている。あの力に身を任せれば、自分は何をするのかわからない。そう思いながらも、ウタカタはホタルの事が気がかりだった。あのときあいつは、オレを殺せたはずなのに。
ウタカタは舌打ちと共に頭を振り、目を閉じて鼻に意識を集中させた。血の匂いに混じって、遠くの方から懐かしい香りが漂ってくる。覚悟を決めて、ウタカタはホタルの匂いのする方向へと走り出した。その姿を見下ろして、ハロウィンの女王は愉しそうに頬を上げた。
町の教会に辿り着くと、ホタルは赤い絨毯の上を走って、祭壇にしがみついた。縋るように十字架を見つめ、深く呼吸を繰り返す。
満月の光が、教会の中に降り注ぎ、辺りを紫色に染めていた。魔物の歌声も聞こえない静粛に、ホタルは安堵のため息を落とした。ここならば、魔物たちは立ち入ることができない。ホタルは呼吸を整えて、そして入り口を振り返った。
「ひっ……」
「そんなに怖がらなくてもいいじゃないか」
赤い絨毯の上に立つ男を見て、ホタルは小さく叫んだ。シラナミはゆっくりとホタルに近づき、帽子を胸に抱えた。紫色の空気が、シラナミの不気味さをいっそう際立たせる。
「どうしてここに、って顔をしているな。お前の考えは正しかったよ。ここは聖なる場所だ。普通ならば人間の血を持たない魔物は中に入るどころか、近づくことさえ叶わないだろう。だがな、俺様は女王に愛された男だ。ハロウィンは俺様の宴なんだ。ハロウィンの不思議な力は、この俺様と共にあるんだよ!!」
シラナミの牙が剥き出しになり、両手はホタルの首を掴んだ。呼吸を奪われて、ホタルは瞳孔を広げながら箒を手放した。
ぼんやりと光を失っていく視界に、ステンドグラスの光が明かりを灯す。しかしそれも束の間、雲が満月を隠すと、辺りは闇に包まれた。ホタルの意識も、徐々に遠のいていく。
「殺すのには惜しいな。だが、少しの間向こうに逝っててもらおう。なあに、あの男の心臓を手に入れたら、すぐに生き返らせてやるさ。お前は俺の、大切な嘉肴なんだからな」
ホタルの身体が、祭壇の前に崩れ落ちる。闇の中で、シラナミの牙がきらりと光った。