オレの真ん中にあなたがいる

 胴体が千切れている感覚を覚えながら、そっと瞼を開ける。爆風に吹き飛ばされていた左頬が、ぱらぱらと音を立てて元の形を作り始めていた。身体が直るのを待ちながら、腕の中のホタルを見つめる。呆然と見開かれた目には、薄らと涙の跡が残っていた。

「怪我はないか?ホタル」

 頬に触れながら問いかけると、ホタルの肩がぴくりと揺れた。無事に庇えたことに安堵し、親指の腹で、細い傷跡をゆっくりと撫でる。傷つけてしまったのは、身体だけではない。抱きしめたい衝動に駆られながら、腕の力を緩める。近くでまた、大きな爆音がした。

「ウタカタ、ししょう…………」
「ここは危険だ。一先ず離れるぞ」

 完全に形を取り戻した身体を翻しながら、ホタルを安全な場所へと運ぶ。首に腕を回したまま、何も言わないホタルの視線が、痛いほど自分に注がれていることがわかった。その視線に応えないまま、爆風を背に戦場から離れる。淡々と木々の間を移動しながら、共有された視界に映る、ナルトの姿を確認した。新たに2人、木ノ葉の忍らしき人間も戦闘に加わっている。戦いはいつまで続くのだろうか。そして、ホタルは。
 遠くなっていく爆音に目を細めたあと、手頃な川辺にホタルを下ろす。ここまでくれば、戦いに巻き込まれることはない。
 抱きかかえていた身体を手放せば、ホタルは縋るような目線でオレを見つめた。状況が呑み込めていないのか、困惑したように瞼が歪んでいる。

「ウタカタ師匠、どうして……!」
「————術の拘束が解けた。ホタル、お前が急に飛び出してくるから」

 苦笑いを浮かべながら、ホタルの頭を撫でる。懐かしい温もりに、失くしていた感覚が蘇ってくるように感じた。緩んだオレの表情に緊張が解けたのか、ホタルの表情が崩れ、目元から雫がこぼれ落ちた。その顔に自身の不甲斐なさを感じながら、泣きじゃくるホタルの額を、胸に押しつけるように抱き寄せる。

「お前はまた、人のために自分の命を投げだそうとして」
「だ、って……師匠が、ウタカタ、師匠が…………」
「わかってる。……ずっと、待っていてくれたんだな」

 微かに震えた声色に気がついたのが、ホタルが顔を上げてオレを見つめた。真っ赤に腫れた瞼を撫で、涙を拭う。できることなら、もう2度と、泣かせたくはなかった。そして、ずっと傍にいたかった。涙に溺れながら震える瞳に、人間の身体を失った自分が映る。死への恐怖も、生への執着もないと思っていた心の中で、未練が渦を巻いてオレを縛り付けた。どう足掻いても叶わない願いならば、せめてこの子の命だけは、救ってやりたい。
 言葉もなく見つめ合っていると、ふいに誰かに呼ばれるような感覚がした。遠くで聞こえる轟きに交えて、腹の中のチャクラが呼応する。瞼を閉じれば、四尾の人柱力が微笑みながらこちらを見つめていた。呪いから解けたようなその表情に、今まで知ろうともしなかった、尾獣たちの思いが伝わる。

(ナルト、お前ってやつは……)

 人を信じることを最後まで諦めなかった眼差しは、ホタルと重なる。結局オレは、逃げ続けていただけだった。師匠からも、尾獣からも、何も理解しようとせず、己を守るために、耳を塞いでいただけだった。
 目が覚めるように澄んでいく気持ちを実感しながら、ホタルの肩に手を置き、身体をそっと離す。そろそろ、行かなければ。オレがホタルを守る術は、これしか残っていない。

「ウタカタ師匠?」
「悪いな。あいつらがまだ戦っているんだ。オレだけ逃げるわけにはいかない」

 背を向けようとするオレの名を、狼狽えたような声が呼んだ。縋るように掴まれた腕に、ホタルを振り返る。

「師匠、待ってください!私は、私はまだ……」
「必ず戻ってくる。今度は何も言わず、いなくなったりしない。だから、待っていてくれ」

 ホタルの手を握りしめ、じっと瞳を見つめた。何か言いたげな顔をしながら、無言で頷くホタルの手を離す。名残惜しそうに宙を掴んだ手が、ゆっくりと下へ落ちた。それを見届けてから、戦場へと走る。
 オレに残された時間は、あとどのくらいなのだろうか。徐々に尾獣化していく身体を進ませながら、指先に残るホタルの温もりを握りしめた。まだホタルが、オレを信じていてくれるのなら、オレを待っていてくれるのなら、オレはホタルに、何を遺してやれるのだろう。


*****


 四尾の遺言を伝え終えると、円形に並んだ尾獣たちの中心で、ナルトが満足気に微笑んでいた。四尾が遺した約束は、人柱力オレたちの因縁を解き、長い間巣くっていた確執を溶かそうとしている。周りを囲っていた精神世界の囲いが、徐々に消えようとしていた。ほっと息をつくと同時に、オレを見上げるナルトと目が合う。

「ウタカタ。お前、ホタルを守れたんだな」

「ああ」と短く返事をしながら、全てを悟ったように綻んだ顔を見つめた。
 あの時——戦場に飛び出してきたホタルが目に入った時、考えるよりも先に、身体が動いていた。穢土転生の術に逆らいながら、引っ張られる魂に反発しながら、オレを庇おうとするホタルの上に覆い被さった。死にぞこないの身体でも、オレが傷つく姿は見たくなかったのだろう。何日も泣き腫らしたかのような目は、もうこの世にはいないオレを、必死に探し続けていた。
 変わらないホタルの想いに、嬉しさと同時に悲しみが溢れてくる。この先オレが、ホタルと共に生きる術はない。戦争が終わり、戦う理由がなくなったとしても、オレはホタルの傍にはいられない。ホタルはずっとオレを待っている。今すぐにでも駆けだして、頼りなく肩を震わせる身体を抱きしめたい。決して傷つくことがないように、守ってやりたい。けれど、どうやって——。淡い期待だけを残して消えてしまったオレに、何ができるのだろう。再び自我を失い、ホタルを傷つけることだってあるだろう。
 細い傷のついたホタル頬を思い出し、ぐっと息を呑み込む。オレには時間がない。人柱力として、この戦いを放棄するわけにもいかなかった。ホタルを守るためにも、オレは、仮面の男あいつを倒さなければいけない。

「弟子のために術の縛りを解くなんて、さすが師匠だってばよ」
「…………」
「——行ってやれよ。ホタルのやつ、お前を待ってるんだろ?ここはオレたちが何とかする」

 俯くように視線を反らしたオレに、ナルトの優しい声が届く。その言葉に、顎を上げて目を見開いた。頬を綻ばせながら見つめ返される視線に、温かさが伝わってくる。

「ホタルはお前の帰りを待っている。たとえ2度と一緒にいられなくったって、それは本当の別れじゃねえ。師匠の想いは、弟子の中で生き続ける。ホタルならちゃんと、お前の想いを受け止めてくれるはずだ」
「そうっすよ!せっかくこっちに戻って来られたんだから、少しくらい寄り道したって構わないっす!」
「私たちのことは気にしないで……。尾獣たちの想いにも気がつけた。あとは、自分の心残りを癒やす番よ」

 ナルトに続き、七尾と二尾の人柱力がオレの背中を押した。他の人柱力も、表情を和らげて首を縦に振る。

「俺たちの叶わなかった願いを、お前に託そう。死しても尚、己を待っていてくれる人がいるのは、恵まれたことだ」

 叶わなかった、願い。
 人柱力として生まれ、他者との繋がりを求め続けていたオレたちは、どこまでその願いを叶えられたのだろう。オレたちの命が絶えたとき、心から悲しんだ者は、どれくらいいたのだろうか。
 しっかりと顔を上げて、人柱力たちの顔を見回した。同じ境遇に立たされながらも、出会うことのできなかった仲間たち。彼らは一体、どんな想いで尾獣を受け入れ、生きていたのだろうか。何も知らなかった。辛いのは自分だけだと、世間を遠ざけていたのは紛れもない、自分自身だった。
 彼らが欲していた願いを、オレは叶えることができた。それはかけがえのない、ありきたりで、単純で、他の人間が聞いたら呆れて笑ってしまうくらい、当たり前の感情。優しい腕に包まれるように、ホタルの記憶が頭の中に溢れてくる。柔らかな温かさを纏う記憶は、オレの縛りを解き放した。死にぞこないの身体になっても、信じていてくれる人がいる。オレの帰りを待ち続け、オレのために泣いてくれる人がいる。
 穏やかな笑みを浮かべる顔を見つめながら、溢れそうになる涙をぐっと堪える。ああ、オレは、こんなにも恵まれていた。
 光に包まれ、精神世界の囲いが消える瞬間に、人柱力と尾獣たちを振り返る。短く呟いた礼の言葉は、彼らに届いただろうか。

 再び動き出す戦場に別れを告げながら、オレの帰りを待つホタルの元へと走る。今度こそ、きちんと伝えよう。オレの想いを、ホタルへの想いを。





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