その名前はまだ知らずに
空を覆う黒い雲が、不気味に光り雷鳴を轟かせる。せっかくの修業も、こうも天気が悪くちゃどうにもならない。濡れた着物を拭きながら、ゴロゴロと鳴く雲を睨んだ。今日の修業、ずっと前から楽しみにしていたのに。「ホタル、そんなところにいたらまた濡れるぞ」
「だって師匠、この雲さえなければ私は今頃、新しい術を会得してたかもしれないんですよ!」
「天気に文句を言ってもしょうがないだろう。風邪を引く前に、中へ入れ」
師匠に促されて、渋々と洞窟の中へ入る。突然の雨にさほど濡れずに済んだのも、偶然この洞窟が近くにあったから。小さく燃える薪の前に座り、少し冷えた身体を温めた。
「そんな顔をするな。修業はいつだってできるだろう」
「私は少しでも早く強くなりたいんです!」
「せっかちなのは忍に向かないな。時には休息も必要だ」
師匠に尤もなことを言われてしまい、私は黙って頬を膨らませる。それに苦笑した師匠が、眉を下げながら手招きをした。
「——?なんですか?」
「いいから、来い」
言われるがままに師匠の隣に座ろうとすると、腕を引かれて膝の上に載せられる。
「し、ししょう!?」
「暴れるな。じっとしてろ」
「え?——わっ!」
無理矢理前を向かされると、わしゃわしゃとタオルで髪を拭かれる。少し荒い手つきに頭が揺られ、くらくらと視界が歪む。
「師匠、痛い!痛いです!」
「なんだ。人がせっかく拭いてやってるのに」
「手つきが乱暴すぎるんです!これじゃ髪が乾く前に、脳震盪になりそう……」
「そんなに乱暴だったか?」
師匠は納得いかないような顔をしながらも、絡まった髪を指で解いてくれる。私もおとなしく前に向き直り、未だに轟く雷鳴に耳を傾けた。
「雨、やまないですね」
「しばらくはこのままだろう。最悪、ここで野宿かもな」
「……師匠」
「なんだ?」
少し振り返ってみると、師匠の顔が思ったより近くにあってドキドキする。師匠もそれに気づいたのか、戸惑うように視線を動かして、横に顔を背けた。
「ありがとうございます。髪、拭いてくださって」
「別に、礼を言われるようなことじゃない」
「やっぱり、師匠は優しいです。私、師匠に弟子になって、本当に良かった」
身体の向きを変えて、師匠の顔をじっと見つめる。ああ、と短く呟いた師匠の顔が少し赤いのが、薄暗い洞窟の中でもはっきりとわかった。
「——うん、私、雨が少し好きになりました」
「急だな。さっきまで修業、修業って喚いていたくせに」
「ふふ、師匠のおかげですよ」
「——?」
不思議そうな顔をする師匠に微笑んで、さっきとは違う優しい手つきで拭かれる髪に目を閉じる。師匠とこんな時間が過ごせるなら、もう少し雨が続いてもいいかな……なんて。単純な自分がおかしくなりながらも、穏やかな時間に口元をゆるめた。