せめて最期に謝りたかったの。
行く宛てもなく歩く。歩く。歩く。目の前に道が見える訳ではないが、人は前へと進むものだ。導かれるままに、赴くままに、無意識に、しかし確実に、足を進める。「なァ、オレたちはどこまで行くと思う?」
もう何時間と、何日と歩いているのに、言葉を口にしたのはこれが初めてだったと今更に思う。以前なら、一言も話さず歩き続けるなど苦痛でしかなかったが、今となってはなんてことない事だった。とうの昔に、身体は亡くしている。身体が亡くては疲れもしない。疲れなくては、苛立つこともない。
「さあな。もっとも、この先に何かがあるとは到底思えないが」
「そうか。ならオレたちはどうして歩いている?」
「それはこっちが聞きたいってんだ。オレはお前についてきているだけだからな」
「もうとっくに、自由になったのにか?」
ヌメヌメとした液体を垂らしながらオレの真横を歩く、ずっしりとした巨体を見上げた。
相変わらず、触れば体ごと溶かされていまいそうな風貌だ。触覚から滴る粘膜を横目で追いつつ、こいつの顔を見るのは久しぶりだと感じた。ずっと側にいたのに、ずっと隣を歩いていたのに。
「自由か。そういえばそうだな。もうオレはお前と一緒にいる理由はない」
「ああ。オレたちは死んだのだからな」
自分の最期がどうだったのか、あまり覚えていない。意識を手放し、気がつけばこの奇妙な空間だ。天国というにはこざっぱりしているし、地獄というには穏やかすぎる。目が覚めたときには既に歩いていた。大勢の人柱力と一緒に死んだはずなのに、オレの傍らにいるのはこの巨大なナメクジだけだ。
「思えば忙しい人生だったよ。人柱力にされ、里を抜け、やっと平穏を得たと思ったら、今度は尾獣狩りだ。オレが何をしたのかと、ここに神でもいたら文句を言いたい」
「こっちだって散々だった。ひっそりと暮らしていたのに、人間どもの勝手で封印されて、厄介者扱いされて、人柱力になった男はこちらを見ようともしない」
ぬちゃり、と不快な音をたてて、ナメクジは止まる。それに倣ってオレも足を止める。
「オレは、お前のせいで人生を滅茶苦茶にされたと思った」
「ああ、オレもだ」
こいつさえいなければ、オレの人生はもっと平穏で、喜びに満ちあふれていたものだっただろう。こんなに早く人生を終えることもなかったかもしれない。
里に迫害され、己を見失い、彷徨い歩いていた日々は、気持ちのいいものではなかった。孤独に慣れようと足掻いていたけれど、ついに最期まで、慣れることはなかった。
「いつも側にいたのにな。オレたち」
大切なことに気づくのはいつも遅い。振り返れば後悔ばかりの人生だ。師匠のことも、ホタルのことも、全てやり残して逝ってしまった。あれほどいつ死んでもいいと思っていたのに、いざその時が来ると、今にも生き返って駆けだして行きたい衝動に駆られる。
「ひとつだけ聞きたいことがあったんだ」
「なんだ?」
粘膜にまみれた顔の中の、小さな瞳を見つめる。いつも側にいたのに、こうして目を合わすのはきっと初めてだ。
「どうしてあの時、オレに力を貸してくれた?」
まだ記憶に新しい、オレの最初で最後の弟子の顔を思い浮かべる。彼女のことを考えると未だに胸が痛むのは、何も知らせずにきてしまったからだろう。
今もまだ、あの場所でオレを待っているのか。
最後に見た後ろ姿に想いを馳せながら、彼女を救ったときのことを思い出した。爆発寸前の彼女を抱きしめていたのは、オレだけではない。あのときこいつがいなければ、オレも彼女も生きてはいなかった。
「さあな。忘れちまったよ、そんな昔のこと」
最初に問いかけたときと同じような調子で呟き、そいつはオレから目を逸らす。もっと早く聞いていれば、彼はその理由を教えてくれたのだろうか。もしかすると、例え教えられなくても、オレはそれを知っているかもしれない。
大切なことに気づくのはいつも遅い。振り返れば後悔ばかりの人生だ。こうしてあてどもなく歩いている今だって、次の瞬きの間には消えてなくなっているかもしれない。
「――犀犬」
名の呼ぶのは初めてだった。忌まわしき六つの尾を持つ獣にも、ちゃんとした名前があった。「抜け忍」と「人柱力」と呼ばれ続けていた自分と、
「ありがとう。と、……悪かったな、今まで」
この空間が、最期に許されたオレの癒やしとするなら、全て終えていかなくてはならない。あてどもない旅路に、終止符を打つために。前へ前へと進まなければならない。
「こちらこそ、迷惑かけたな。ウタカタ」
何もなかった世界に、一本の道が見えた気がした。今度こそ全て終わるのだろう。その先に何があるのかはわからない。だが、それでいい気がした。孤独もふたつ合わされば、孤独ではなくなる。それを教えてくれた弟子の未来に希望を託して、名を呼び合った相棒の手を取った。
もう言葉を交わさなくても十分だった。導かれるままに、赴くままに、無意識に、しかし確実に、オレたちは、足を進めていく。