せめてきれいに逝けたなら、
ここに来るのは、一体何年振りだろう。一時は、失くした面影を追い求めるように毎日通っていたのに、いつからか全く足を運ばなくなっていた。大きな岩は相変わらず無骨な表情をして佇み、生い茂る花の数は、あの頃よりも増えた気がする。
私が“ここ”を忘れている間に、時間は流れ、“ここ”もいつしか、知らない場所に変わっていた。
黙って辺りを見つめる私に、触れてほしいとでも言うように、風が岩に向かって背中を押す。促されるがままに岩に触れると、堰き止めていた何かが溢れるように、喉を突いて息を止めた。ひんやりと、物も言わぬ冷たさに、頭の奥に仕舞い込んでいた記憶が蘇ってくる。
ふわりと香る花の匂いが、あの人の残香と重なって、なんだか悲しくなった。声も、姿も、顔つきさえも朧になってしまったのに、匂いだけは未だにはっきり覚えている。
シャボンの混じった、どこか懐かしく、私を包み込んでくれた、優しいあの香り。その香りの中に、もしかしたらこの花の香りも混じっているのかもしれない。それくらい、私とあの人の間に、この場所は欠かせない物だった。
岩に座り、澄んだ青空を見上げていると、意識があの頃に戻っていく気がした。それでも、あの時のように涙は出てこない。悲しみを涙に変えて発散するには、時が経ち過ぎていたし、何より私自身が、現実を理解してしまっていた。
だからだろうか。ナルトさんから届いた手紙を読んだ時も、自分で感心してしまうほど、冷静でいられた。どこかで予想していたのだろう。あの人が既にこの世にいないことを、私はずっと前から知っていた気がした。ただそれを裏付ける根拠がないだけで、ヒントは至る所に散らばっていたのだから。
丁寧に折りたたまれた手紙を読み返して、瞼の裏にあの人の顔を思い浮かべた。
あの人はいつも無表情で、笑顔を見たのは数回だというのに、私があの人を思い浮かべると、彼はいつでも優しい笑みを浮かべている。
彼の訃報を聞いたとき、私はどこかで安堵していた。あの人はもう死んでいたのだと、だから私を迎えに来なかったのだと、何度も負けそうになった一つの疑念を、ようやく取り払うことができた。彼は最期まで、私の知っている優しい彼のままだった。それがわかっただけで、私が涙を流す理由はなくなっていた。
「ウタカタ師匠」
語りかけるように、思い出すように、言い聞かせるように。
久しぶりに呼んだあの人の名前は、私の記憶以上に、優しい響きを纏っていた。
「私は、元気ですよ」
もっとたくさん、言うべきことはあるのだろう。伝えたい想いも、言い切れないほど、胸の奥に溢れている。
けれど、私はあえて言葉にしなかった。言葉に出して吐き出してしまったら、今度こそ、私の中に何も残らなくなる。私は彼を抱えたまま、生きなければいけない。彼を忘れないために、私がこれから先も、前を向いて生きていくために。
「さようなら」と唇の動きだけで呟いて、涙を流すように、手紙を指で引き裂いた。今も、どこかで眠っている貴方へ。せめてその姿が、安らかなものであるように祈りながら