酸欠まじりの目眩に揺れる

 背伸びをしてぐっと顔を近づけると、不敵に笑う顔が目に入った。普段は大好きで大好きでたまらない顔だけれど、今は違う。恨めしくて仕方ない。その私を試すような眼差しも、僅かに上がった口角も、全部私の神経を逆なでする。怒りたくなる気持ちを抑えて、視線を交合わせたまま両肩に手を伸ばす。

「どうした?ホタル」
「……っ…………」
「お前が選んだんだろ?それとも、やっぱり無理か?」

 アルコールの香る吐息が顔にかかり、思わず目を細める。挑発的に私の髪を撫でる仕草は、私を馬鹿にしているのだろう。酔ったウタカタ様はたちが悪い。普段は口付けさえままならないのに、1度お酒に染まればまるで別人。いつもの不器用な優しさは、どこへ行ってしまったんだろう。

「ホタル?」
「っ、いま、します……から」

 両肩に添えた手に力を込めて、唇の触れる寸前まで顔を近づけた。
 きっかけは、些細なこと。宿が見つからず仕方なしに泊まった小さな花街。端正なウタカタ様は、当たり前だけれど遊女たちに囲まれて。それにヤキモチを妬いてしまった私は、思わず部屋を飛び出してしまった。そして追いかけてきたウタカタ様につかまって、こんなことになっている。

「オレが他の女に靡くのが怖いんだろ?なら、ホタルもあの女たちみたく、オレを誘惑してみろ。そうすれば、嫉妬なんて馬鹿らしいことしなくてすむ」

 一段と意地悪げに弧を描く瞳も、今の私にはぼやけてしまってよく見えない。薄く開いた唇から漏れた吐息が、唇の間で交わり、なんだかおかしくなってしまいそう。自分でもわかるほど熱を帯びていく視線でウタカタ様を捉えて、ゆっくり首に手を回す。唇が触れる前に差し出した舌が、ウタカタ様の熱を口内に伝達していく。

「ん………う………」

 ゆっくりと絡まる舌に合わせ唇を触れ合わせれば、甘美な感触に自然と目を閉じてしまう。キスなんてもう何度もしているのに、どうしてこんな気持ちになるのだろう。ウタカタ様から香るアルコールの匂いは、私まで酔わせてしまったのだろうか。

「ウタカ……さ、んっ……」

 崩れそうになる身体を支えられ、より深く唇が重ねられる。これじゃあ、どっちが誘惑しているのかわからない。無意識にこぼれる自分の声にさえ溺れてしまいそうで、ここが宿の廊下であることも忘れてしまう。

「ま……て、ウタカタ……さま」
「なんだ」
「も、げんか……」
「まだ口吸いだけだろう」

 呼吸を乱す私をよそに、ウタカタ様は物足りないというように私の腰を抱く。目の前にある唇は、どちらのものかわからない唾液で濡れていて、自分のした行為に今更になって羞恥心が芽生える。

「やっ……もう……」
「相変わらずうぶだな」
「私にしては、頑張ったほうです」
「まあ、たしかにな」

 未だ力の入らない私を支えるように、ウタカタ様は頭を胸に押し付けるようにして抱きしめてきた。耳元に唇を寄せられ、軽く舐められたらあと、優しい声で囁く。

「お前以外の女なんか、興味はない」
「…………」
「何度も言っているだろう。いい加減わかれ」
「でも、私はあんなに色っぽくないですし、ウタカタ様に似合うような女性じゃないですし……」
「オレに似合うかどうかは自分で決める。それに、オレの好みが色っぽい女だなんていつ言った」

 身体を離し、子どもに言い聞かせるように頭を軽く叩かれ、自分が情けなく感じながらも安心してしまう。少しお酒が抜けたのか、優しい眼差しに戻るウタカタ様に抱きついて、額を胸に押し付けた。

「ウタカタ様のお酌は、私がします。私はウタカタ様の弟子ですから」
「わかったわかった」
「子ども扱いしないでください。私だって、誘惑、できたんですから」

 唇に残った熱を消し去るように口元を引き締めれば、ウタカタ様からは見えていないはずなのに笑い声が聞こえた。

「何がおかしいんですか!」
「いや、やっぱりお前に誘惑は向いてない」
「そんなっ……」
「師匠のオレを誘惑するには、もう少し修行が必要みたいだな」

 そう言ったあとぺろりと唇を舐められ赤面すると、ウタカタ様はまたくつくつと笑い部屋へと戻っていく。その後を追いながら唇を押さえて、再び抗議の言葉を口にすれば、先のような意地悪い瞳が、愉しげに緩んだ。


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