お話みたいなさよならの仕方
夢の狭間で感じた重みに瞼を開き、膝の辺りに顔を伏せるそれに舌打ちをする。いくら敵ではないといっても、こんなにまで近づかれ、あげく膝を枕にされているのに気がつかないなんて、オレもとうとうヤバいらしい。平和ボケをするほど、ここの生活に慣れてしまったのか。こんなに長く留まるつもりじゃなかったのに、まったく。己の浅はかさに今度はため息がでる。
追い忍に襲われ傷ついた体を癒やすために、親切なのか警戒心が薄いのか、はたまた下心があってか。拾われたも同然で住み着いたこの屋敷。年頃の娘と爺さん2人きりの生活は、なにか訳があってのことだろうか。気にはなるが、所詮他人の人生。背後にどんな問題を抱えていようと、オレには関係ない。それは向こうも同じこと。巻き込まれたくないし、巻き込むつもりもない。
だから、さっさと出て行くつもりだった。
未だつもりから成長できないのは、呑気に無防備にオレの膝を占領するこの娘のせいだ。弟子だのなんだの喚いてはオレを追い回し、目を盗んで屋敷を出ようとするオレをどこからともなく現れて阻止する。はじめは屋敷に監視カメラでも付いているのかと思ったが、最近になってあの爺さんもグルだとわかった。ある意味監視カメラよりも厄介だ。
「ったく、ツイてるんだかツイてないんだか」
無意識にこぼれた声にも反応しないほど爆睡している頭を、今すぐにでもどかしてしまいたい。だが、この娘を傷つけるつもりはないし、できれば穏便に後腐れなく別れたいんだ。
命を救ってくれたのは感謝している。どこの馬の骨ともわからない男に衣食住を提供してくれたおかげで、あの日朽ちてしまっていたはずのオレの命はまだ消えていない。いつ死んでも構わないとさえ思っていたが、やはり人間。いざその時を迎えると、どんな人生だろうと命は惜しくなる。
「ん……う……」
僅かに動いた膝の温もりに視線を動かす。
この娘は、オレが自分を助けてくれたと言っていた。けれどそれは間違いだ。偶然その場に居合わせただけで、オレはあの時、己の命のことしか考えていなかった。
「ウタ、カタ……さま」
不意に紡がれた名前に面食らう。寝言で名前を呼ぶなんて、オレはあんたの恋人かなんかか。勘弁してくれ。
動揺するオレとは反対に、寝言の主は幸せそうに頬を緩めている。どんな夢を見ているのだろう。まさかオレが師匠になった夢じゃないだろうな。やめてくれ。それが他人の夢だろうと、師匠という響きに虫酸が走ることには変わらない。
「おい、起きろ」
例え1%でも可能性があるのなら、早急にその夢を断ち切らせなければいけない。緩んだ頬をつねり無理やり上を向かせた。間抜けた声と共に開かれる瞼に、思わず舌打ちをしそうになる。
「うひゃかひゃさみゃ?」
「お前……人の膝を枕にして夢まで見るとは、いい度胸だな」
ぐっと顔を近づけて凄んでみれば、状況を理解したのか、寝ぼけた顔がみるみるうちに青に変わっていく。
「申し訳ありません!ウタカタ様を探していたら、こちらで寝ていて、そのお顔を見ていたらつい……」
つまりあれか。オレはこの娘に寝顔を見られていたのか。どんな羞恥プレイだ。
眉間に皺を寄せるオレに気づいたのか、青い顔は次第に双眼に涙を溜めて赤らんでいく。
不味い。この娘を泣かしたら、あの爺さんからどんな報復を受けるかわからない。最悪この屋敷を追い出される。それはそれで都合がいいが、なんだか後味が悪い。平和ボケをし、この娘の接近に気づかなかったオレにも原因はある。
「おいおい、泣くことはないだろ」
「だって私は、ウタカタ様にとても失礼なことを……」
「そんなに怒っていない。頼むから泣き止んでくれ。お前に泣かれたら困る」
息を吐いて震える顔を見つめれば、涙こそ止まったもののくしゃくしゃになった表情が目に入る。そんなに怖かったか?そりゃあ普段と声色は変えたが、あれでこんな表情をされては、万が一本気で叱ったときにどんな反応をされるのだろう。
「そんな顔はするな」
「だって、私はウタカタ様に嫌われてしまったらと……」
「はあ?」
「ウタカタ様に嫌われてしまったら、私は、どうしていいかわかりません」
自身の言葉に想像を巡らしたのか、引っ込んだはずの涙がまた溢れてくる。偶然出会った男に嫌われるのが、そんなに怖いのか。弟子入りを懇願したり、本当にこいつは意味がわからない。
「泣くな。オレはお前を嫌ってはいない」
「ほんとうですか?」
「……ああ」
縋るような眼差しに肯定の返事をすれば、潤んだ瞳がパッと見開き瞬く間に弧を描く。女は気分屋だとよく言うが、この娘は特に表情がころころ変わる。
「良かった!私、これからもずっと、ウタカタ様のお傍にいたいんです。だから、ウタカタ様が私を嫌っていなくて……本当に、嬉しい」
噛み締めるような言葉に、胸の中が罪悪感で埋まっていく。オレがこの娘を嫌っていないのは事実だが、これからずっと、という訳にはいかない。この娘の願いを叶えるには、オレは枷を背負いすぎている。体中を蝕むそれを、この娘は知らなくていい。知ってはいけない。
「何度も言っているだろう。オレはいずれ屋敷を出て行く」
「なら、私も一緒に屋敷を出ます」
「やめておけ。箱入りのお嬢様がついてこれるような旅じゃない。それに、あの爺さんはどうするんだ」
「遁兵衛には、土蜘蛛の里があります。でも、私にはっ……」
立ち上がり背を向けた袖を、後ろから強く引っ張られる。首だけ捻り様子をうかがえば、先とは違う必死な眼差しがオレを捉える。
「私には……ウタカタ様しか、いないんです」
苦しげに細められ、逸らされた瞳に、今までとは違う雰囲気を嫌でも感じる。
今は廃れてしまったとしても、名のある一族の跡取り。財産も居場所も、いくらだってあるだろう。それなのに、どうしてこの娘はこんな顔を。正体不明の男を唯一の居場所とするほど、追いつめられているのか。
一体何に?気にはなるが、聞きはしない。オレはこの娘を自分の問題に巻き込まない。だからオレも、この娘の問題には干渉しないと決めた。
「何を言っているんだ。お前には立派な家も里もあるだろう」
「それ、は……」
「頼むから、巻き込まないでくれ。オレはここに留まる気はない。もし居場所がオレしかないというのが本当だとしたら、他をあたるんだな」
中途半端な優しさは、逆に相手を傷つける。壮絶すぎる半生の中、痛いほど味わった。
期待を打ち砕かれた声が呼んだ名前は、泡沫のように儚く聞こえた。
何も言わなくていい。
何も知らなくていい。
優しさを与え、期待させ、最後に泣くのはあの娘だ。いつまで留まるかどころか、いつまで生きられるかもわからない。下手を踏めば、オレのせいであの娘は命を落とすかも知れない。
それほどまでに、重い枷。自分で選び、そして全てを奪っていった闇の塊。後悔はしていない。ただ、昔の無知で純粋だった己が恨めしい。
「……ホタル」
結局1度も口にしなかった名前。今夜、ここを出て行こう。泣かれようと、喚かれようと、今度こそここを出て行こう。このままでは、いずれ何かが壊れる。
ホタルの泣き顔を見た瞬間から、胸を覆う靄。その
(生憎オレはそれを知らない)