デビルっちの再来

 世の中という物は、奇妙なことが溢れている。それは、あたしの存在そのものでもあるし、今起きてる現象も、それに分類される。
 しおりの心の中にだけ存在していたはずのあたしが、いつからかしおりと言葉を交わせるようになり、最近では、しおりと意識を交換出来るようにまでなっていた。調子に乗って、身体を借りすぎていたのがいけなかったのか、今のあたしは、自分の意思とは関係なく、しおりの“主”の意識として、脳を働かせている。脳内に戻ろうとしても、しおりは愚か、エンジェルちゃんとも、話すことが出来ない。それ故、あたしはしばらくの間、“野辺留しおり”として、生活しなければならなかった。
 始めは焦ったけれど、起こってしまったことは仕方がない。この機会に、散々エンジェルちゃんに邪魔されていた、「日々はんせい堂ファッションビル化計画」を実行しようかとも思ったけれど、しおりの部屋に貼ってあった、カレンダーの印を見てそれを辞めた。しおりの部屋にある幾つかのカレンダーのうち、休日用の予定が書き込まれたカレンダーには、今日の日付に、太い赤のペンでハートマークが書いてある。その下には、これまた赤いボールペンで「傑作くんとデート?」の文字が書いてあった。
 しおりの中の悪魔を具現化したあたしだって、恋くらいはする。その相手が傑作くんだというのは、未だに納得はいかないけれど、主の意識であるしおりが好きなのだから、あたしが彼を好きになるのも、当然と言えば当然なのかもしれない。そんなこんなで、あたしは恋人とのデートに相応しい、花柄のワンピースと高いヒールの靴を履いて、ついでにリボンもいつもとは違うレース素材の物に付け替えて、はんせい堂を後にした。
 そ・れ・な・の・に!!傑作くんに連れてこられた場所は、商店街の端にある、福袋公園だった。砂場では子どもが楽しそうに遊んでいるし、ブランコの傍では、おばさま達が犬を連れて、世間話に花を咲かせている。はっきり言って、今のあたしの格好は、公園内でとても浮いていた。膝上丈のワンピースも、普段より五センチ高いヒールも、子どもや犬が暢気に走り回る公園では、何の意味もない。

「デートって言ったから、もっと遠出をすると思ったのに」

 不機嫌を音にしたような声で呟くと、傑作くんがあたしを振り向いて、不安げに眉を垂らした。その表情に、ケンカになるかも、と危機感を覚えたけれど、今更笑顔なんて取り繕ってられなかった。こんな場所、わざわざ日を決めて来なくたって、いつでも来られる。あたしはこんな寂れた公園なんかじゃなくって、雑誌に載っていたようなカフェや、夜景の見えるレストランなんかに行きたかったんだ。何が悲しくて、彼氏と何もない公園を散歩しなくちゃいけないんだろう。

「ごめんね、しおりちゃん。ぼく、遠出するほどのお金を持ってなくって……」
「なーに?はんせい堂の給料に不満があるって言いたいの?」
「そ、そうじゃなくて!……あ、ベンチが空いてるよ!しおりちゃん、ヒールだから、疲れただろ?とりあえず座って休もうよ」

 あたしの機嫌を伺うように、傑作くんが引き攣った笑顔を浮かべる。その表情がますます気に食わなくて、腕を組んだまま、傑作くんを無視するようにそっぽを向いた。
 公園だって知ってたら、ヒールなんて履いてきませんでした!
 そう言ったら、ますます傑作くんを傷つけてしまうのだろうか。あからさまに落ち込む傑作くんを見て、不憫に思うけれど、謝る気になんてなれない。何せ、あたしはしおりの中の悪魔、デビルっちなんだ。自分の思い通りに事が運ばないのはムカツクし、優しさなんて持ち合わせていない。
 気まずい空気が漂うあたしたちとは反対に、公園の中は、穏やかな春風に包まれていた。子どもの笑い声に混じって、桜の花びらが宙を舞い踊る。地面に落ちた花弁は、絨毯のように辺りに散らばり、風に乗って模様を変えていた。

「本当にごめんね、しおりちゃん」

顔を背けたままのあたしを気遣うように、傑作くんが、ぽつりと声を落とす。

「福袋公園なんて、しおりちゃんはつまらないだろうと思ったんだけど……。どうしてもしおりちゃんと、この公園の桜を見たかったんだ。早く来ないと、いつ散っちゃうか、わからないから」

 泣き出しそうな傑作くんの声に、眉間の皺を解いて、俯いた顔を見つめる。傑作くんは肩を落としたまま、足下をくすぐる花びらを、じっと見つめていた。

「お花見なら、この間みんなでしたじゃない」
「そうじゃなくて、しおりちゃんと二人きりで見たかったんだ。でも、そうだよね。せっかくのデートなんだから、もっと華やかな場所が良かったよね。ぼくったら気が利かないから……」

 顔を上げた傑作くんが、垂れ下がる頬を無理矢理釣って、笑顔を作った。その表情に、胸の奥がチクリと傷む。
 どうして、こんな気持ちになるんだろう。
 あたしは悪魔だ。誰もが恐れる、しおりの中のデビルっち。人の不幸は蜜の味。自分の欲望のままに生きてきて、他人のことなんて考えたこともない。誰かの悲しそうな顔を見て、自分の行いを反省することなんて、あるはずがなかった。
 何も言えないまま立ち竦んでいると、どこからか、足下にボールが転がってきた。その方向を見ると、いつの間にかボール遊びを始めた子ども達が、こっちに向かって手を振っていた。

「ボール、こっちまで転がってきちゃったんだね。戻してあげなきゃ」

 そう言った傑作くんの足は、見事にボールを素通りして、その場に尻餅をついた。その姿にため息をつきながら、子ども達の方へ、ボールを蹴って戻してあげる。

「すごいね、しおりちゃん。そんな高いヒールなのに、ちゃんと蹴られて」
「これくらい誰でも出来るわよ。傑作くんが鈍いだけ」

 半分瞼を閉じながら、地面に座ったままの傑作くんを見る。散り始めた花びらが、いくつか傑作くんの髪にも絡みついていた。呆れた表情のあたしに気づいて、傑作くんが笑顔を崩す。その顔に、また胸がチクリと傷んだ。どうしてこんな気持ちになるのか、自分でもわからない。

「……本当、傑作くんって、不思議な人」

 好きになる人は、格好いい人が良かった。顔はもちろんイケメンだし、スポーツも万能で、頭もいい。性格は、優しくて大人っぽくて、頼りになる人。流行にも敏感だし、ファッションセンスだって抜群だ。
 なのに、今あたしが好きなのは、それとは真逆の人。性格は優しいけれど、度が過ぎてただのお人好しになってるし、運動神経もファッションセンスも、どれもあたしの審美眼には敵わなかった。
 座ったままの傑作くんに手を差し出しながら、そんなことを考える。呆けた顔の傑作くんは、あたしの呟きの意味がわからなかったのか、差し出された手も取らずに、黙ったままあたしを見つめていた。その様子に痺れを切らして、自分から傑作くんの腕を掴む。

「しおりちゃん、今の、どういう意味――」
「だからっ!こういうデートも、悪くないって言ってるの!!近所の公園でお花見なんて、センスも色気もないけど、傑作くんとなら、たまにはいいかなって。……勘違いしないでよね!あたしはこんな場所より、オシャレなカフェや、高級レストランに行きたかったんだから!!」

 立ち上がった傑作くんに一気しに捲し立てて、慌てて掴んでいた手を離した。散々わがままを言ってしまったお詫びに、一言「ごめんね」が言いたかったけれど、あたしは悪魔だから、素直になんてなれない。だから代わりに、傑作くんが望んだ通りに、桜並木に方に歩いて行った。木の下も、今なら貸し切りだ。これなら桜が散ってしまう前に、傑作くんと思い出が作れるかもしれない。

「待って、しおりちゃん!」

 歩き出したあたしの腕を、今度は傑作くんが掴む。振り向くと、傑作くんはいつものような朗らかな笑顔で、あたしを見つめていた。

「せっかくのデートなんだから、手ぐらい繋ごうよ」

 散々傷つけられたのに、傑作くんはあたしを咎めもせず、真っ直ぐに左手を差し出してきた。その顔に鼓動を弾ませながら、唇を噛みしめる。
本当、こんな男の、どこが好きになったんだろう。
 あたしの理想とは正反対の、鈍くさくてお人好しな男。でも、傍にいるだけで、手を握るだけで、顔が赤くなってしまう。
 もしかすると、あたしもそろそろ、悪魔卒業なのかもね。
 弱くなっていく自分の“悪”を感じながら、素直に手の平を重ねて、傑作くんの隣を歩いた。花吹雪があたしたちの姿を隠すように、身体中にまとわりつく。粋な春風に感謝しながら、誰にもバレないように、傑作くんの肩に頬を寄せる。優しく名前を呼んでくれた傑作くんの声に耳を澄まして、桜色に染まる視界を、そっと瞼の中に閉じ込めた。