二人旅にでも行こうよ
四方を囲む建物を見上げて、ふぅと息を吐く。目に映る町並みは、時代劇で見るそれにそっくりで、江戸時代にタイムスリップをしたような、不思議な気分になった。真正面に見えるお城は、パンフレットに載っている写真よりも、ずっと迫力がある。目を閉じれば、今にも侍や、殿様の姿が見えてきそうだ。「って、最初は楽しかったんだけど……」
瞼を開けて、江戸時代には似合わない、現代の服を着た人々を眺める。誰もがパンプレットやスマートフォンを片手にお城を見上げて、楽しそうに笑っていた。そのほとんどが二人連れで、女一人で行動しているのなんて、あたしぐらいだった。
一人旅を満喫したいと、単独行動を提案したのは自分だ。一緒に駅に着いたもくじぃや傑作くんと、三時間後に駅前で会う約束をして、ウキウキ気分で城下町を歩いていた。初めのうちは、相手のことを気にせず、自由に行動できる時間に羽を伸ばしていたけれど、時間が経つに連れ、寂しい気持ちが増えてきた。どんなにお城やその風景に感動しても、それを伝える人がいないと、面白くない。周りで楽しそうに写真を撮り合っている人を見ると、余計に寂しさが募ってきた。いくら一人旅に憧れていたとは言え、三時間は長すぎたかもしれない。せめてその半分にしておけば良かったと、ため息をつきながら町を歩く。
似たような風情のお土産屋さんを覗きながら、これからどうしようかと思考を巡らせる。時計を見ると、約束の時間まで、まだ一時間以上も残っていた。見たい場所は、まだいくつかあるけれど、独りで回る元気は残ってなかった。もくじぃや傑作くんと落ち合うにも、二人とも携帯を持っていないし、この広い城下町の中を、当てもなく彷徨うしかなかった。仕方なくまたため息をついて、お店を後にする。
「あ!」
なんて偶然、なんてベストタイミングなんだろう。お城を見上げる観光客の中、見慣れたもじゃもじゃ頭を見つけて、思わず声をあげる。髪型に加えて、背も高い傑作くんは、人混みの中でも、見失わずに追いつくことができた。人の間を縫って、パンフレットを見ながら歩いている背中に、そっと声を掛ける。
「傑作くん」
名前を呼んで袖を引っ張ると、傑作くんは驚いたような顔をした後、にっこりと微笑んで、こちらに体を向けてくれた。
「しおりちゃん。偶然だね」
「本当ね。傑作くん、一人旅を満喫してる?」
「おかげさまで。いろいろ回って来たんだ。そろそろお腹が空いたから、また中心地に戻ってきたんだけど……」
言いながら、傑作くんの見せてくれたパンフレットを覗き込む。印のたくさん付いたそれから、傑作くんの見てきた場所が見てとれた。いくつか自分が行った場所も見つけて、風景を思い出しながら、感想を伝え合う。並んで歩きながら、誰かと行く旅も悪くないな、なんて、最初とは正反対のことを考えていた。
「そうそう!あの場所、当時の建物がまだ残っていて、自分まで江戸時代の武士になった気分だったよ」 「ふふ。傑作くんは武士って言うより、平民の方が似合ってるけどね」
「やっぱり?ぼく、刀なんて怖くて持てないからなぁ。しおりちゃんは、やっぱり茶店の娘さんかな。お姫様も良いけれど、ああいう着物、しおりちゃんに似合うと思うんだ」
傑作くんが指さした方向にいた、試食の和菓子を配っている売り子さんを見て、傑作くんが微笑む。当時の人が着ていたような、可愛らしい桜色の着物に包まれている自分を想像して、黙って頷いた。なかなか悪くないと思ってしまうのは、自惚れなのだろうか。
ぐぅ~。
傑作くんに返事をしようと顔を向けると、人混みの中でも聞こえるくらい、大きな音が鳴り響いた。その音に目を丸くすると、照れたように笑った傑作くんが、お腹を押さえて頭を掻いた。
「あはは……。ごめんね、話の途中なのに、お腹がなっちゃって」
「そういえば傑作くん、お腹が空いたって言ってたわよね。どこかで一緒に食べましょうか」
「それなら、行きたいところがあるんだ。しおりちゃん、付き合ってくれるかな」
傑作くんに連れられ、パンプレットにも載っていた、人気の甘味処の暖簾をくぐった。さっきの売り子さんと同じような着物を着た店員さんに案内されて、席へと座る。周りからは、甘い香りが漂ってきた。
「美味しそう!!抹茶アイスに抹茶パフェ、餡蜜にぜんざいに……どれにしようか迷っちゃうわ」
「だろ?パンフレットで見て、入ってみたかったんだけど……。男一人じゃ、なんだか入りづらくってさ。しおりちゃんに会えて良かったよ」
メニューを見ながら話す傑作くんに、辺りを見渡してみる。確かに、席に着いているのはカップルや女の子ばかりで、男性のお一人様は、どこにもいなかった。嬉しそうに餡蜜を頼んだ傑作くんに、笑顔を返しながら、自分も抹茶パフェを注文する。
「確かに、この様子じゃ男一人は気まずいかもね」
「本当だよ。男だって、甘い物が食べたい時があるのにさ」
拗ねたように唇を尖らす傑作くんに笑って、他愛もない話をしながら、甘味が届くのを待った。しばらくして、店員さんが持ってきてくれた商品に、二人で歓声をあげて、スプーンで頬張る。
「うーん!!抹茶の風味がやわらかくって、とっても美味しいっ!」
「ぼくのも。甘すぎなくて、すごく食べやすいよ!」
お互いに味の感想を伝え合いながら、甘味をどんどん口へ運んでいく。そのうちに、あれだけ美味しかった抹茶の味にも飽きてきて、目の前にある、餡蜜の餡が魅力的に思えてきた。物欲しそうな視線に気がついたのか、傑作くんがスプーンで白玉と餡を掬って、あたしに差し出す。
「はい、しおりちゃん」
「え?」
「美味しそうって、思ってたでしょ?だから、一口お裾分け」
そう言って笑う傑作くんに、こちらはまごついてしまう。スプーンに乗った餡蜜は、確かに魅力的だ。けれど、それが乗っているスプーンは、さっきまで傑作くんが使っていた物だ。もしかしなくても、これは間接キスになってしまう。答えを求めるように傑作くんを見つめ返すと、傑作くんは他意のない表情で、あたしを見つめていた。
「しおりちゃん、どうしたの?」
「どうしたのって、それ……」
「え?――あ、もしかしてサクランボも食べたかった?しょうがないなぁ。これ、最後の楽しみに取っておいたんだけど」
傑作くんは、そう言って餡蜜を掬い直して、またあたしに差し出した。ここまでされて断るわけにもいかないと、覚悟を決めて、スプーンに口を近づける。口内に入った餡蜜は、甘くとろけて、舌の上に消えていった。遅れて入ってきた白玉とサクランボが、甘さを助長して、頬をとろけさせていく。
「美味しいっ!!抹茶アイスも良いけれど、餡蜜もやっぱり美味しいわね」
「あはは、しおりちゃんったら、幸せそうな顔」
「だって……とっても美味しかったんだもの。サクランボまでくれるなんて、傑作くんって優しいのね」
話しながら、自分のスプーンでパフェを掬う。間接キスは気恥ずかしかったけれど、何か傑作くんにお礼がしたくて、掬った生クリームの上に、同じく最後の楽しみに残しておいたサクランボを乗せる。それを差し出すと、傑作くんはきょとんとした表情をして、あたしを見返した。
「さっきのお礼。傑作くん、抹茶パフェは嫌い?」
「嫌いじゃないけど……いいの?サクランボまでもらっちゃって」
「いいのよ。さっき傑作くんのサクランボ、あたしが食べちゃったし」
困惑したような傑作くんにスプーンを近づけると、ぎこちなく唇が開いた。そこにサクランボと生クリームを押し当てると、真っ赤な舌がそれを舐めとった。初めて間近で見る傑作くんの舌に慌てながら、何もなくなったスプーンを、ゆっくり自分の方へと戻す。
「美味しいっ!!やっぱり、こういう甘味に付いてるサクランボって格別だよね。なんだか、抹茶パフェも食べたくなっちゃった。ぼくも頼もうかなぁ」
「傑作くんったら食べ過ぎよ。そんなに美味しかったなら、あたしのをもう一口あげるわ」
赤くなった頬を誤魔化すように、またパフェを掬う。それを見た傑作くんは、笑いながら首を振って、唇に付いていた生クリームを拭った。それを舐めとる舌が再び見えて、心臓が高鳴る。
「さすがにこれ以上はもらえないよ。――それにしても、誰かと一緒に旅をするのも、良いものだね。独りで城下町を巡るのも楽しかったけれど、誰かと一緒にいなきゃ、感想を話したりはできないもんね」
「そうね。一人でここに来ていたら、餡蜜も食べられなかったわけだし」
掬ったスプーンを口に運ぶと、笑顔の傑作くんと目が合う。間接キスを意識しているのなんて、あたしだけみたいだった。それが悔しくて、無意味にパフェを容器の中で掻き混ぜてしまう。ぐちゃぐちゃになった生クリームが、指先に付いて、スプーンを汚した。
「そういえば、もくじぃはどこにいるのかな?待ち合わせまでは、まだ時間があるけれど」
拗ねるようなあたしの気持ちは、傑作くんの一言で、現実に戻された。その言葉を聞くまで、もくじぃの存在を忘れていたなんて言えないから、動揺を隠して、パフェを口いっぱいに頬張る。
「そうね……。あの人のことだから、結構一人で楽しんでいるんじゃない?でも、あたしたちが二人でいるのを見たら、いじけるかもね。仲間はずれにされたー!って」
「あはは!そうかも。じゃあ、もくじぃにバレないうちに行こうか。二人で甘味を食べたのは内緒にして」
そう言って餡蜜を掻き込む傑作くんに、二人きりの時間の終わりを感じて、何だか切なくなる。その切なさの理由を辿りながら、指先に付いた生クリームを吸い取った。そして、餡蜜の横に置かれていた傑作くんのパンフレットを開いて、それを眺めるような振りをしながら、口を開く。
「ねぇ、傑作くん。また一人旅を始める前に、写真でも撮らない?」
「写真?」
「そう。一人旅じゃ、風景の写真しか撮れないじゃない。せっかく城下町まで来たんだから、自分が映ってる写真も、撮っておきたいの。お城の前で、一緒に誰かに撮ってもらいましょう?」
パンフレット越しに視線を合わすと、傑作くんは、笑顔で頷いてくれた。その表情に心を浮かれさせて、残りのパフェをスプーンで掬う。
撮った写真は、もくじぃにバレないように、こっそり現像しておこう。自分の映っていないツーショットの写真なんて、もくじぃに見つかったら、面倒なことになってしまう。
「じゃ、行こうか。しおりちゃん。パフェはぼくが奢ってあげるよ」
「ありがとう!でも、平気なの?帰りの電車賃のこと、考えてる?」
「あー……。足りなかったら、もくじぃに奢ってもらおうかな」
「ふふ。パフェを奢ってくれたお礼に、今の言葉は秘密にしといてあげる」
イタズラっぽく微笑みを交わして、甘味屋を後にした。見上げた大きなお城に、青空と白い雲がよく映える。石畳の道を歩きながら、さりげなく、傑作くんと距離を縮めた。今度来る時は、一人旅じゃなくて、二人旅もいいかもしれない。そんなことを考えながら、お城を見上げる傑作くんを、見つめ続けた。