キスのための身長差
キスしやすい身長差・十二センチ理想のカップル身長差・十五センチ
セックスしやすい身長差・二十二センチ
ぎゅっとしやすい身長差・三十二センチ
しおりちゃんのパソコンに残された文字を見て、思わず絶句する。絶句しすぎて、しおりちゃんに掛けようとしていたブランケットを、床に落としてしまうところだった。慌ててブランケットを掴み直して、しおりちゃんの肩にそっと掛ける。当のしおりちゃんは、すやすやと、可愛らしい寝顔をぼくに見せつけて、夢の中で遊んでいた。
可愛い。けどさ、しおりちゃん。
もごもごと、言葉に出来ない思いを抱えながら、もう一度パソコンの画面を見る。キスはともかく、夜の行為にも理想の身長差があったなんて驚きだ。しかも、それぞれの差が大きすぎる。これじゃあ、どんな身長差だろうと、全ての理想が叶えられないじゃないか。
しおりちゃんは、どうしてこんなものを調べていたんだろう。
相変わらず健やかな寝顔を浮かべているしおりちゃんをチラリと見て、その真意を考える。ここに表示されている数字には、二人の身長差は当てはまらない。唯一近いのが「ぎゅっとしやすい身長差」だが、抱きしめるのに身長差なんて関係あるのだろうか。そりゃあまあ、百八十近くあるぼくと、小柄なしおりちゃんが抱き合えば、しおりちゃんの体がすっぽりぼくの腕の中に埋まってしまって、いつも以上に可愛さを感じることはあるけど……身長差がなくても、それはそれで、顔がすぐ近くにあって良いんじゃないか、とも思う。
しおりちゃんも、もしかして同じことを考えていたのかな。
よく、「女の子は自分よりも身長の高い男が理想」と言うけれど、しおりちゃんは平均よりも小柄で、ハイヒールを履いて、やっとぼくの肩に頭が届くくらいだった。そんなしおりちゃんを、ぼくは可愛いと思うけれど、しおりちゃんは嫌だったのかもしれない。ただでさえ数十センチの身長差があるのだ。話すときには、しおりちゃんはぼくを見上げなければならないし、キスなんかするときには、ぼくの肩に手を置いて、背伸びをしないと唇が届かない。たまにぼくが屈んでみることもあったけれど、あまり意識したことはなかった。精一杯顔を近づけてくるしおりちゃんが可愛くて、無意識にしおりちゃんが近づいてくることを待っていたから。
しおりちゃんは、もっと小さい方が好きなのかな。
十五センチとまでは言わなくとも、それこそ二十センチくらいが丁度良いのかもしれない。夜のそれはわからないけれど、二十センチくらいなら、そんなに背伸びをしなくても済むだろうし、見上げすぎて首を痛めることはない。とはいえ、今さら身長を縮めるなんて無理な話だ。しおりちゃんの背が伸びるのを待つ、という方法もあるけれど、どちらかと言えば小さいままのしおりちゃんが好きだし、しおりちゃんも子どもじゃないんだから、この先十センチ以上も背が伸びるなんて、ほとんどありえない話だろう。
こんなこと言ったら、怒っちゃうんだろうけど。
子どもっぽいことを気にしているしおりちゃんは、なんだか幸せそうな顔をして眠っていた。閑古鳥の鳴く古書部とは違って、ネット部は今日も忙しかったのだろう。机に伏せたまま眠るしおりちゃんを撫でて、そっとその顔を覗き込んだ。いつもぼくを見上げてくる、可愛い顔。睫が震えて、唇が少しだけ開いていた。その様子を見つめていると、急に切ない気持ちが込み上げてきて、しおりちゃんを抱きしめたくなった。しおりちゃんの理想にはなれなくても、 ぼくはしおりちゃんのことが大好きだ。
想いを伝えるために頬に口付けて、小さな背中をそっと撫でた。どうしよう、しおりちゃんを起こしたくないのに、触れたくてたまらない。
「ん……」
もどかしい気持ちを抱えたまましおりちゃんを見ていると、ふいにその目がゆっくりと開いた。惚けた視線がぼくを捕らえて、それから少し恥ずかしそうに口元が歪む。
「やだ、あたしったら寝ちゃってたのね」
「うん。起こしちゃってごめんね」
「ううん。元々そんなに深く眠ってなかったから……。あ、ブランケット掛けてくれたのね。ありがとう」
ふわりと笑うしおりちゃんに、抑えていた気持ちがまた膨らんでいった。膝を曲げて顔を近づけて、ブランケットに包まれた肩をそっと掴む。触れるだけのキスをして顔を離すと、しおりちゃんは目を丸くしてこちらを見つめていた。
「どうしたの?傑作くんからキスなんてめずらしい」
「いつも、しおりちゃんにしてもらってるから、たまにはね。背伸びだって、毎回大変だろうし」
「背伸び?」
「ほら、この話。理想の身長差にはなれないけれど、しおりちゃんに負担はかけたくないからさ」
パソコンを指さして口を開くと、しおりちゃんはきょとんと画面を見つめたあと、おかしそうに笑い声をこぼした。その様子に、今度はぼくが目を丸くする。
「傑作くんったら、こんなもの本気にしてたの?」
「だって、しおりちゃんがこんなこと調べてるから」
「これは……まあ、ちょっと気になったのは事実だけれど、理想も何も関係ないわ。あたしは大きな傑作くんが好きだし、傑作くんが傍にいると、なんだか安心するの。守られてるっていうか、あたしのこと、全部包み込んでくれている気がして」
しおりちゃんはそう言って笑うと、肩に置いていたぼくの手に自分の手をそっと重ねた。しおりちゃんが首を動かすと、鼻先が擦れそうになる。その距離に少しまごついて、顎を内側に引いた。しおりちゃんの瞬きの音が、聞こえてきそうな気がする。
「でも、そうね。たまにはこうやって顔が近いのも、新鮮で良いかも」
重なっていた手が離れて、しおりちゃんの両手が、ぼくの両頬を挟む。そのまま無邪気に笑ったしおりちゃんが、ちゅっと音を立ててぼくの鼻に口付けた。いきなりのことに、喉の奥から間抜けた声がもれる。しおりちゃんはその様子を見てさらに笑い、鼻先をくっつけたままこちらを見上げた。視界がぼやけて、しおりちゃんがどんな顔をしているのかわからない。けれど、包まれた頬がどんどん熱を持っていって、それが両手を伝って、しおりちゃんに移っているような気がした。
「ふふ、傑作くんったら真っ赤っか」
「しおりちゃんだって、ほっぺが赤いよ」
「だって、好きな人と顔が近かったら、誰だって赤くなっちゃうでしょ?……やっぱり、あたしは今のままの身長差でいいわ。毎日傑作くんと顔が近くなったら、真っ赤になって、そのまま倒れちゃいそう」
しおりちゃんの睫が合わさって、そのまま唇が塞がる。啄むように口付けをして、それから二人で微笑んだ。額が触れ合ったまま、笑い声が口の間で交わる。
「ぼくも、いつもの身長差の方が落ち着くかな。でも、見上げすぎて疲れたら言ってね。いつでも屈むから」
「屈んでくれるのは嬉しいけど、傑作くんの顔を見上げすぎて疲れるなんて、贅沢な悩みね」
立ち上がったぼくのお腹の辺りに、しおりちゃんが甘えるように頭を埋めた。その頭を優しく撫でて、落ちかけていたブランケットを肩に掛け直す。
色んな理想があるけれど、ぼくにとっての理想は、こうやってしおりちゃんといられることかな。
小さな体を抱きしめて、いつものようにぼくを見上げてくる顔を見つめた。赤くなった頬が、潤んだ唇が、震える瞳が、いじらしい。傑作くん、と名前を呼ばれる度に、ぼくはしおりちゃんに惹かれて、捕らわれて、離れられなくなる。
遠くなった距離を埋めるように、もう一度腰を曲げて、しおりちゃんの顔を覗き込む。今度は、しおりちゃんがまごつく番だ。キスのための身長差は、二人の匙加減でどうにでも変えられる。挙げられた全ての理想を、ぼくとしおりちゃんなら叶えられるだろう。再び重なった唇と、不意打ちの距離に真っ赤になったしおりちゃんに笑顔を返した。小さなぼくの恋人は、甘い甘い味がする。