おしまいの日

冷えた指先に息を吹きかけると、辺りが白く色づいた。一年の終わりを迎えようとしている時は、普段よりも厳かに感じる。唇の前で手を揉みながら、隣を歩く傑作くんの顔を見上げた。遠い外灯が照らす横顔が、普段よりも大人びて見える。
 
「さすがに、十二月の夜となると寒いわね」
「うん。もうすぐ日付も変わるしね。もっと厚着をしてくれば良かったかな」
 
 傑作くんの声が、白い空気に変わってあたしの真上まで降りてくる。 はんせい堂では、今頃もくじぃがイビキでも掻いてコタツで寝ているのだろう。その横で、リリックは丸くなって留守番をしているはずだ。ゴージ君とダツジ君は、家で家族と過ごしているのだろうか。
 一刻一刻と、今まであたしが過ごしてきた年が終わっていく。大晦日だというのに、街ごと眠りについたかのように、辺りからは風の音しか聞こえなかった。世界の終わりに、傑作くんと二人きりで歩いているような、奇妙な感覚に襲われる。ただの散歩なのに大袈裟だと、ひとりで笑みを浮かべながら、少しだけ傑作くんに近づいた。微かに触れ合った手に、冬の冷たさを感じる。
 
「傑作くん、もくじぃのお古のコートだけだものね。いい加減自分のコートを買えばいいのに」
「そうだね。来年は自分用のを買おうかなぁ。今までは平気だったけど、年々寒くなってる気もするし」
 
 外灯が照らした傑作くんの鼻が、赤くなって夜に浮かんだ。その色が無性に愛しくて、何も言わずに息を止める。どうしてこんな気持ちになるのだろう。今年最後の日というだけで、明日も明後日も、傑作くんはあたしの傍にいるのに、永遠の別れを迎える前のように、胸の奥が苦しくなる。抱きついて、口付けて、そのままどこかへ消えてしまいたくなった。遠くで除夜の鐘が聞こえる。払われるはずの煩悩は、あたしの中で膨らむだけだ。
 
「……もう、しょうがないわね。これ、貸してあげるから、風邪引かないようにね」
 
 話ながら解いたマフラーに、風が頬を掬う。背伸びをしてマフラーを傑作くんの首に巻く瞬間、二人の白が唇の間で交わった。触れ合った睫の先が、少し長い瞬きの合間に揺れる。風は相変わらず首元を冷やすのに、身体は熱くてたまらなかった。照れたように笑った傑作くんの声が、あたしを現実の世界に引き戻す。
 
「ありがとう。でも、これじゃあしおりちゃんが風邪引いちゃうよ?」
「あたしは大丈夫よ。でも、そうね。代わりにこっちを温めてもらおうかしら」
 
 冷えた手の平は乾燥していて、それが反って傑作くんの皮膚の感触をあたしに伝えさせた。交互に絡まった指が、離れないようにあたしを引き寄せる。除夜の鐘は鳴り続ける。続きがあると知っていても、終わりはいつも悲しい。
 
「もう、年は明けたのかしら」
「うん……、そろそろ明けた頃かもね」
「傑作くん」
「ん?」
「今年も、大好きだよ。ずっと一緒にいようね」
 
 街の明かりが一斉に点くように、新しい始まりが、あたしと傑作くんの背中を優しく押し出す。頷いた顔がマフラーに埋もれるのを見て、さっきまでの切なさが嘘のように嬉しくなった。
 
「もちろん。あけましておめでとう、しおりちゃん」
 
 明日も、明後日も、来年も、再来年も、この笑顔を隣に立って見られたら、幸せだと感じられるのだろう。
 寒さの消えた手の平が、去年よりも強く結ばれる。最後の鐘が鳴り終わったとき、あたしたちの前には、新しい道が広がっていた。