Make love to me.

 身体が恋で包まれるって、こういう感じなんだろう。何をしてても、どこにいても、傑作くんのことが気になって仕方がない。熱を冷ますためにシャワーを浴びたけれど、余計に体温を上げるだけだった。ベッドに横たわって、シーツの上で丸まってみる。早く、早く、傑作くんに会いたい。予定が決まったあの日から、何度もスケジュール帳を見返しては、擦り切れるくらいに、今日の日付を指でなぞった。今日という日を待ち焦がれていたのは、あたしだけじゃないはずだ。
 ガチャリ、と鍵が開く音がして、慌ててベッドから起き上がる。備品のスリッパも履かずにドアへ駆けよって、待ちかねていた姿に、思いきり飛びついた。後ろ手にドアを閉めた傑作くんが、片手であたしを受け止めてくれる。

「傑作くん!会いたかった!!」
「しおりちゃん。久しぶりだね。待たせちゃったかな?」

 部屋に鍵を掛けながら、傑作くんがあたしを覗きこむ。その声に首を横に振って、懐かしい顔をじっと見つめた。たった一ヶ月って、昔なら思っていただろうけど、今のあたしにとっては、果てしなく長い時間だった。日にちにしたら三十日。秒にしたら、二百六十七万八千四百秒も傑作くんと会っていなかったことになるんだ。以前は毎日顔を合わせていたあたしたちにとって、この時間は長すぎる。

「本当に久しぶり。あたし、傑作くんに会いたくてたまらなかったの。ほとんど毎日、電話やメールをしてるのに」
「ぼくも。やっぱり、こうやって顔を合わせないと物足りないよね」

 傑作くんがあたしを抱きしめて、それから優しく唇を重ねてきた。そのまま何回か口付けを繰り返したあと、微笑みあって部屋の中へと入る。傑作くんの持っていた鞄を受け取って、コートをクローゼットへしまった。高級ホテルではない、ありきたりなシティホテルだけど、傑作くんと二人で過ごせるなら、どこだってかまわない。

「傑作くん、何かお茶でも飲む?」
「うん。じゃあ、緑茶でも貰おうかな」

 ベッドに座る傑作くんを振り返って、湧かしておいたお湯で、インスタントのお茶を作った。それを差しだして、傑作くんの隣に座る。会いたい会いたいと願っていたはずなのに、その願いが叶ったら、今度は傑作くんに、思いきり触れたくなった。けれど、そんなワガママをしてしまえば、傑作くんがお茶をこぼしかねないから、ぐっと我慢して、ふやけた表情を隠せないまま、傑作くんを見つめる。

「傑作くん、今日の仕事はどうだった?」
「相変わらず、新曲のプロモーションで、テレビ局やラジオ局を行ったり来たり。明日も十時からの生放送に出演する予定だから、早起きしないと」
「そう……。じゃあ、そんなにゆっくりは出来ないのね」

 あからさまに落ち込んだあたしの声色に気がついたのか、傑作くんがお茶を置いて、あたしに向き直った。何か言おうとする前に唇が塞がれて、背中を優しく撫でられる。薄目を開けて傑作くんを見ると、傑作くんも目を開けていて、至近距離で目が合った。吐息が交わって、室内が淫靡な空気に包まれる。

「ごめんね、しおりちゃん。めったに時間が取れないのに、今日も忙しくて」
「いいのよ。傑作くんの仕事が忙しいのは、傑作くんの夢が叶ってる証拠だもの。なかなか会えないのは残念だけど、傑作くんが有名になってあたしも嬉しいわ」
「ぼく、今日を本当に楽しみにしてたんだ。歌を歌うのは楽しいけれど、しおりちゃんに会えないのは寂しくて……。だから、こんなホテルまで、しおりちゃんを呼び出したんだ。一ヶ月も会えないままなんて、耐えられなくて」

 傑作くんの声が、だんだんと性急さを増して、熱を帯びていく。声に乗った欲情を感じながら、拒むことなく、素直に傑作くんに押し倒された。たった数時間、限られた時間をセックスに使うなんて、なんだかもったいない気もしたけれど、お互いに我慢出来ないのだから仕方ない。食欲や睡眠欲と同じように、性欲だって、人間の大事な欲望の一つだ。与えられる口付けに応えながら、傑作くんの身体を弄る。薄いシャツの下に隠されている肌に、早く触れたくて仕方なかった。

「しおりちゃん、今日はなんだかいつもと違うね」
「そう?何も変わったことはしてないはずだけど」
「そんなことないよ。普段より、何だか積極的」

 あたしの着ていたブラウスを肩まで脱がしながら、傑作くんが冷やかすように微笑んだ。服を脱がしやすいようにバンザイをしていたあたしは、その言葉に頬を膨らませて、わざと服を着直すように、身体を内側に丸めた。首元にかかったブラウスが、不格好に腕の中で丸まる。

「しょうがないじゃない。あたしだって、いろいろ溜まってるんだから」
「ふーん。女の子も、そういう気分になるんだ?」
「そっ……そんなの当たり前よ!毎日してるならまだしも、久しぶりにするんだから、ちょっとくらい欲求不満になっても仕方ないわ。傑作くんだってそうでしょう?」

 いくら女の子と言えど、あたしも一人の人間だ。我慢出来ないほどではないけど、性欲は溜まるし、傑作くんという相手がいなければ、その欲が解放されることはない。でも、あたしだけそんな気分になっているのは恥ずかしいから、仲間を探すように、傑作くんを上目遣いに睨んだ。そうだね、と同意の返事が返ってくるのを期待したのに、傑作くんは何も言わず、気まずそうに視線を逸らした。

「傑作くん?」

 その表情に、身体の内側に溜まっていた熱が冷めて、一気に身体が冷え上がる。ありえないと思いながらも、不安は抑えられなくて、丸めていた身体を元に戻した。一瞬想像してしまった光景に、歯を震わせながら、おそるおそる唇を開く。

「傑作くん、もしかして久しぶりじゃないの?」

 黙って頷いた傑作くんに、いよいよ泣きそうになった。浮気を告白するにしても、こんな日に、こんなシチュエーションで言わなくてもいいじゃないか。そんなことを考えながら、裏切られたショックに、途中まで脱がされた服で顔を隠す。浮気をするくらいなら、ずっと隠したままでいてほしかった。

「ひどい!傑作くんったら、そんな人だとは思わなかった!!」
「だ、だって……。どうしても我慢出来ない時に、しおりちゃんが傍にいなかったら、しょうがないだろ!ぼくだって、したくて一人でしてる訳じゃないんだから……」

 え?と考える前に、声が口を衝いて出た。見上げた傑作くんは、あたしの太股の辺りで膝立ちになって、あたしの視線から逃げるように、手で顔を隠していた。その耳が赤いことに気がついて、涙がみるみるうちに引っ込んでいく。

「傑作くん、もしかして一人でこういうことをしてたの?」
「だからさっきからそう言って……!!――もういいよ。軽蔑されるってわかってたけど、ぼくだって男だし、どうしようもない時だってあるんだ」

 怒りながらも、開き直るように顔を顰める傑作くんが、無性に愛しくなった。顔を埋めていた服を脱ぎ捨てて、傑作くんに近づくように起き上がる。また非難されると思ったのか、傑作くんは顔を背けて、拗ねるように上を向いた。その顔を無理矢理こちらに向けて、舌で舐めとるようにキスをする。不意打ちに驚いたようなくぐもった声が、口の中で響いた。

「し……しおりちゃん?」
「ごめんなさい、傑作くん。あたし、誤解してたわ。傑作くんが会えない間に、他のひとと浮気してるんじゃないかって」
「浮気なんて!!しおりちゃんを裏切るようなこと、ぼくには絶対出来ないよ。それに、しおりちゃんじゃなきゃ……満足出来ないし」

 言い辛そうに俯く傑作くんに、キスをしながらネクタイを解いた。一人でしてる間、一体何を考えていたんだろう?聞いてみたかったけれど、これ以上傑作くんをいじめるのは可哀相だから、問いかける代わりに、シャツのボタンを一つずつ外していった。服を床に脱ぎ捨てて、どんどん生まれたままの姿に近づいていく。スカートの中に、傑作くんの手が滑り込んできたのを確認して、傑作くんをベッドに押し倒す。慣れない動作に、ブラの肩紐が下がって、二の腕の辺りで引っかかった。

「傑作くん、好きよ。だあい好き」
「ぼくだって、しおりちゃんのことが大好きだよ」
「ふふ、今夜は傑作くんの言うように、積極的になってみることにしたわ。久しぶりなんだもの、思いきり楽しまないと!!」

 部屋の明かりを消して、淡いベッドライトの光だけが浮かぶシーツの上で、傑作くんと肌を確かめ合う。上も下も、前も後ろも、何もわからない。止まらない水音と、自分の嬌声と、傑作くんの息づかいに、時間を忘れて腰を動かし続けた。溜まっていた欲が解放された頃には、身体が心地良い疲労感に包まれて、気がつくと、傑作くんの腕の中にいた。お互い惚けた表情をしながら、残った物足りなさを埋めるように、唇を重ねる。さっきまでのような激しさはないのに、幸福が胸の奥から溢れ出て、息が苦しくなった。酸素を求めるように傑作くんの肩を掴むと、唇が離れて、優しく頭を撫でられる。

「しおりちゃん、大丈夫?痛いところはない?」
「大丈夫よ。傑作くんこそ、明日早いのに、こんなにしちゃって大丈夫なの?」
「平気だよ。どんなに疲れていたって、しおりちゃんを抱きしめて眠れば、全部吹っ飛んじゃうから」

 そう言ってあたしを抱きしめる傑作くんに、身体を預けて頬を胸に擦り寄せた。散々口付けた胸板の向こうから、傑作くんの心臓の音がする。その音に合わせて呼吸を繰り返して、疲労に促されるように瞼を閉じた。

「……あーあ。このまま永遠に、明日が来なければいいのに。あたし、まだ傑作くんと離れたくない」
「ぼくも。でも、きっとまた連絡するから。待っていてくれないかな?」

 髪を手櫛で解いて、あたしと目を合わせる傑作くんに、閉じていた瞼を開けて、微笑んで頷いた。傑作くんが願うのなら、どこでだって何時間だって、あたしは待ち続けることが出来るだろう。傑作くんは、決してあたしを傷つけない。だから、約束を破ることなんて、絶対にしないんだ。

「いくらでも待つわ。だから傑作くんも、他のひとのところにはいかないでね」
「絶対にいかないよ。永遠に約束する」

 おやすみのキスをして、手を繋ぎながら、眠りに落ちた。互いの身体に触れ、時には自分を静めるために動かしていた手の平が、二人の間で重なり合う。例え直接会っていなくても、相手を想いながら過ごす時間は、恋の一部になるんだろう。だとしたらあたしたちは、いつだって恋に包まれている。互いの名を呼びながら繋がっていた、あの瞬間のように。