素敵なおバカさん

 すきに なるのなら
 すてきなおバカさん

 すきになっても きっと(こいしても)
 きづかない おバカさん

 あたしも あなたのゆめに(いいゆめに)
 なりたいな おバカさん

 白い息を吐き出しながら、しおりは公園への道を走った。足を進める度に感じる風のせいで、せっかく整えた髪型はぐちゃぐちゃに崩れている。開いた口に冷たい空気が入り、少し咽せそうになっても、しおりの足は止まらなかった。
 会いたい。
 会いたくて、会いたくて、たまらないのだ。例え勘違いでも、重たくても、しおりは傑作に会わずにはいられなかった。失って初めて気づく、青空の暖かさ。その青空が真上に広がっているうちに、しおりは傑作に会いたくて仕方がなかった。

「傑作くん!」

 公園の入り口をくぐって、しおりは反射的に傑作の名前を呼んだ。それに気がついた傑作が、青空から視線を動かして、穏やかにしおりに微笑みかける。その笑みを受けたしおりは、慌てて乱れた髪を手櫛で直した。冷たい風のせいで、きっと顔も酷いことになっているだろうが、そこを気遣っている暇はない。散々な状況に肩を落としつつも、しおりは久しぶりに会う傑作を見つめて、嬉しそうに微笑んだ。

「傑作くん、久しぶり」
「久しぶり。しおりちゃん、走ってきたの?鼻が赤いけれど」
「え?ま、まあね。あんまり待たせちゃ、悪いかなと思って」

 クリスマスのトナカイのようになっているであろう鼻を押さえて、しおりは少し俯いた。久しぶりに会うのなら、出来るだけ可愛い自分で会いたいのに、冬の寒さはそれを邪魔してくる。慌てて家を出てきたせいで、手袋もマフラーもしていなかったしおりの体は、掻いていた汗が冷えてきたことも伴って、普段以上に寒さを感じていた。

「急がせちゃったかな。ごめんね」
「ううん、いいの、大丈夫」
「でも、さすがにその格好じゃ風邪引いちゃうよ。良かったら、これ使って」

 差し出されたマフラーを受け取って、しおりは「ベンチにでも座ろう」と言う傑作の後をついていった。毛糸で出来たマフラーからは、傑作の優しい香りがしてくる。ベンチに腰掛けたしおりは、傑作にバレないようにその香りを鼻孔に吸い込んだ。首に巻かずに抱きしめているだけでも、傑作の温もりが体を温めてくれる。

「最近どう?はんせい堂の様子は変わってない?」
「ネット部の景気はだいぶ良いわよ。古書部は……相変わらずだけど」

 苦笑いを零しながら、しおりははんせい堂の近況を手短に話した。もくじぃが動物園にパンダを呼ぶために、中国語を勉強し始めたことだとか、リリックは相変わらず寝てばかりで、でも以前よりはもくじぃやしおりに近づいてくるようになったことだとか。話しているうちに、しおりは自分が心から楽しんでいることに気がついた。あの日に戻りたいと涙が出るほど、しおりにとって満ち足りていたはんせい堂で傑作と過ごしていた日々。傍らに傑作がいるというだけで、しおりはあの頃に戻っているような気がしたのだ。

「あはは、みんな相変わらずだね。ぼくも早く会いたいな~」
「傑作くんが帰ってきたら、みんな喜ぶわよ。もくじぃには、もう連絡したの?」
「ううん。五四九くんたちには、昨日メールしたんだけどね。せっかくだから、はんせい堂でみんなに会いたいってさ」

 傑作の言葉を聞いて、しおりはピキッと表情を強ばらせた。そして、昨日までしおりを散々悩ませた、傑作のメールについて思い出す。
 五四九くんたちには、メール、返してるんだ。
 勘違い女。妄想の先走り。彼女気取りの重たい女。傑作がしおりに抱いたであろうそれらのレッテルが、穏やかになっていたしおりの気持ちに暗い影を落とす。
 浮かれていた自分が恥ずかしくなったしおりだが、傑作はそんなしおりに気づくことなく、楽しそうにはんせい堂の思い出を語っていた。その顔には、しおりを迷惑に思っているような色は浮かんでいない。
 傑作くんは、あたしを迷惑に思っているわけじゃないのかしら。そもそも、どうしてあたしにだけ、先に会いに来たんだろう。はんせい堂に来るなら、その時に会えるのに。
傑作の声を聞きながら、しおりは自分がどういう状況に置かれているのかわからなくなった。メールの送りすぎを非難するために呼び出したのなら、こんな穏やかな雰囲気でいられるはずがない。ぐるぐる渦巻く不安と期待を抱えながら、しおりは首を曲げて傑作を見つめた。どんなにしおりが考えたところで、答えを知っているのはこの人しかいないのだ。

「傑作くん」

 しおりの声が、冬の風に消されそうになる。

「この前、あたしのこと好きって言ってくれたの、あれ、どういう意味?」

 一度言葉にしてしまえば、もう引き返すことはできない。しおりは緊張に足を震わせながら、それでも傑作を見つめ続けた。このまま曖昧に、独りで悶々としているわけにはいかない。そのせいで傑作と話せなくなったとしても、しおりには聞かずにいられなかった。

「どういう意味って……どういうこと?」
「だ、だから……。あたしは傑作くんのこと、その、こ……いびとっていうか、彼氏として好きなんだけど、傑作くんの言う好きは、あたしと一緒……なのかなって」

 決心して言ったはずなのに、しおりの言葉はどんどん尻すぼみになっていった。普通、一度でいいはずの告白を、どうして二度もしなくてはいけないのだろう。それも、「好き」の意味を説明するという、愛の詩人みたいな方法で。

「しおりちゃん……」
「か、勘違いしてたのなら謝るわ!ただ、あたしはそういう意味で言ったわけだから、その後の傑作くんの好きも、一緒の意味だって思ってて、だからメールもたくさん送っちゃったし、絵文字もハートとか、他にもいろいろ送っちゃったし、悪気があったわけじゃないの!独りで舞い上がって馬鹿みたいって、自分でもわかってるから!!」

 恥ずかしさを隠すように、しおりは早口で弁解するように言葉を並べた。けれど、話せば話すほど自分が惨めになってきて、終いには大声で叫び出したくなった。

「しおりちゃん、落ち着いて……」
「ああもう!だって恥ずかしいじゃない!ごめんなさい傑作くん!!」
「謝らないでよ。ぼくも、同じ意味で言ったんだから」

 耳に届いた傑作の言葉に、しおりは自棄になっていた思考を止める。弾かれたように顔を傑作に向けると、傑作は照れくさそうに頬を掻いて曖昧に笑っていた。

「ちゃんと伝わってなかったなんて、何だか恥ずかしいな」
「それはこっちの台詞よ!だいたい、そういう意味なら、どうしてメールを返してくれないの?五四九くんたちには返していたくせに!!」

 溜まっていた鬱憤をぶつけるために、しおりは傑作の腕をぽかぽかと軽く叩いた。嬉しいやら、恥ずかしいやら、どんな表情をしていいかわからない。

「それは……。ぼく、メールとか電話とか、携帯にまだ慣れてないからさ、変なこと書いちゃって、しおりちゃんに迷惑かけたらいけないと思って。双子になら、ちょっとくらい怒らせちゃっても、謝ればいいかなって思えるんだけど、もししおりちゃんに嫌われたら、どうしていいかわからなくなるから……。そんなことを考えてたら、自然と返信が遅くなっちゃって」

 傑作の話に、しおりは腕を叩くのをやめる。踊り出しそうな心に必死で制止を呼びかけながら、わざと怒り顔を浮かべて傑作を睨みつけた。

「……だったら、どうして最後に送ったメールには返事をくれなかったの」
「しおりちゃんがよく、赤いハートマークとか送ってくれたでしょ?あのピコピコ動いてるやつ。ぼくもあれ、使ってみたくて。でもどうやって出すかわからなかったから、返せないままになっちゃって」

 あはは、と暢気に笑う傑作に、しおりはとうとう伸されてしまった。怒り顔を作っていた唇が、もぞもぞと上にあがっていく。
 さすが、最近まで携帯を持っていなかったアナログボーイだわ。
 しおりはにやけ顔を隠すために、さっきまで叩いていた傑作の腕に抱きついた。額を肩口に押し当てて、ぐりぐりと擦りつける。マフラーと同じ、傑作の優しい香りがしおりの肺を満たしていった。嬉しさと、恥ずかしさと、安心したのと、あとは何だろう?上手く言葉にできない幸せな気持ちが、しおりの表情をとろけさせていく。

「傑作くんの、ばか。すっごく寂しかったんだから」
「え!?ご、ごめん!ごめんね!!そうだよね、ぼく、自分のことしか考えてなくて……」

 頭の近くで、傑作の慌てる声がする。焦る傑作とは反対に、しおりは目を閉じてそのままじっとしていた。今までの関係では許されなかった、この距離が愛おしい。このままずっと、傑作に抱きついていたかった。ここが真冬の公園だとか、誰かに見られてしまうんじゃないかとか、そんなことは全てどうでもよかった。

「しおりちゃん、ごめんね。お願いだから顔を上げてよ」

 動かないしおりを泣いているのだと勘違いした傑作が、自信の無さげな声を上げる。しおりはそんな傑作に、ちょっぴり仕返しがしたくなった。小さなデビルっちがしおりの肩に乗り、唆すようにニヤリと笑う。

「しおりちゃ……ん!!」

 ふにゃりと、二人の唇が重なった。空気が乾燥しているせいで、唇の皮が固くなっている。それでも、甘いキスであることに変わりはなかった。重なった唇を離したしおりは、頬を染めながら、わざと上目遣いで傑作を見つめる。

「恋人同士なんだから、キスぐらいしたっていいでしょう?」

 蠱惑的に微笑んで、しおりはくすくす笑いながらベンチから立ち上がった。マフラーを首に巻いて、ステップを踏むようにしながら公園の中を駆け回る。

「しおりちゃん!今のって、え?うそ、ええ!?」

 傑作はベンチから立ち上がったものの、唇を押さえながら右往左往と行き場をなくしていた。その顔は、しおりの見たことのないくらい真っ赤に染まっている。それは、いつか傑作から貰った、「愛」の文字が刻まれたリンゴのように。

「傑作くん、早く来ないと置いてっちゃうよ!」

 立ち止まったまま動けずにいる傑作に向かって、しおりは大声で叫んだ。そして、そのまま公園の入り口まで思いきり走る。
 頬に当たる風が、気持ちよくしおりの髪を靡かせた。火照っていた顔を冷やすように、青空を見上げて顔を外気にさらす。この幸せな気持ちのまま、歌い出したくて仕方なかった。

「待って、しおりちゃん!」

 公園から出る直前に傑作を振り返ると、傑作は息を切らしてしおりを追いかけていた。頬に熱を灯したまま、不格好なフォームで公園を走っている。

「傑作くん」

 不器用で、目立たなくて、鈍くさくて、走るのも苦手な、しおりの彼氏。もじゃもじゃ頭はヘンテコで、それでも、きっと世界一優しい、しおりだけの素敵なおバカさん。

「ずっとずっと、そのままの傑作くんでいてね。あたしもずっと、傑作くんの傍にいるから」

 この先好きになるのも、一緒に歩くのも、傑作くんだけでいい。
 追いついてきた傑作に、しおりは思いきり飛びついた。不意を突かれた傑作は、そのまま後ろにバランスを崩してしまう。いきなり倒れたというのに、傑作はしおりの腰に手を回して、庇うように体を支えていた。こんなところも大好きだと、しおりは傑作の耳に唇を寄せる。

「大好きだよ、傑作くん」

 人の幸せばかりを考えて、空っぽになってしまった傑作くんのポケットに、あたしの夢も詰め込んでほしい。夢を叶えた傑作くんの新しい夢に、いつかあたしがなれたらいい。
 抱きついていた傑作の腕が、ぎこちなくしおりの体に回った。冬の寒さも、青空に包まれていれば、気持ちのいいものになる。傑作の胸に頬を寄せながら、しおりはお気に入りの曲の歌詞を呟いた。あの日無意識にこぼれた歌声は、今日の日を予言するものだったのかもしれない。
 抱き合っていた腕を離し、立ち上がってお互いの手を取った二人は、照れたように微笑み合った。青空は、二人の真上に、どこまでも広がっている。はんせい堂への道を歩き出した傑作としおりは、いつまでも幸せそうに笑っていた。