樅の下で優しいキスをして

 街の光を独り占めするように、大きな樅の木が輝いている。天辺に光る星は、首を曲げなければ見えないほどで、道行く人々はその大きさに圧倒されていた。光に捕らわれた人は、皆うっとりと樅の木を眺めて、その場に立ち止まる。そのせいで、ツリーの下は地面の色が見えなくなるほど、人で溢れかえっていた。
 ざわざわと止まらない話し声に、せっかくのクリスマスソングも掻き消される。ロマンとはほど遠い光景に、ウタカタは大きな欠伸をした。長くツリーを見上げていたせいで、肩も凝っている。そんなウタカタを窘めるように、ホタルは小さく腕を引っ張った。

「もうっ、ウタカタ様。デートの最中に欠伸なんてしないでください」
「仕方ないだろう。もう何時間ここに突っ立ってると思ってるんだ」
「まだそんなに経っていませんよ。少しは我慢してください。せっかく木ノ葉の里に来たんですから、もっと近くでツリーを見たいんです」

 懇願するような眼差しに、ウタカタも呆れたように顎を引いた。この人混みを掻き分けてツリーに近づくのも、人が減るのを待つのも、どちらを選んでも時間が掛かりそうだ。
 たたでさえ寒いのに勘弁してくれと、ウタカタはマフラーの中に顔を埋めた。シャボンの上から眺めれば、人混みを気にすることはないのに、ホタルはどうしても、このツリーを下から見上げたいらしい。全く、女の考えることはわからない。

「それにしても、こんな大きな樅の木があるなんて、木ノ葉の里はすごいですね」
「……昔は樅の木に、人間を吊していたらしいぞ」
「ウタカタ様!!」

 抗議をするように荒げたホタルの声も、今はざわめきに消されて誰も気にしない。人々はツリーに夢中で、隣に人がいることも忘れているようだった。

「クリスマスにそんな話をしないでください!」
「こんな人混みじゃあ、ロマンも糞もないんだ。いいだろう」
「そういう問題じゃ……きゃっ!」

 ウタカタと話すホタルの背中を、誰かが力強く押しのけた。少しでも近くでツリーを見ようと、この人混みの中を歩いているらしい。バランスを崩したホタルの身体を抱きとめて、ウタカタは舌打ちをした。樅の木の魅力に捕らわれたせいで、ここに集まっている奴らは皆、自己中心的になっている。
 ホタルの身体を庇うように腕に収めて、ウタカタはツリーを睨みつけた。神が宿る木だか何だか知らないが、こんな物を見て何になるんだろう。

「あ、ありがとうございます。ウタカタ様」
「怪我はないか?——ったく、だからわざわざ人混みの中になんて出掛けずに、シャボンで行こうと言ったんだ」

 語気を強めるウタカタに、ホタルはしゅんとして俯いた。ホタルも、ここまで人が集まっているとは思っていなかったらしい。クリスマスの度にウタカタのシャボンを使うのは悪いからと、小さな声で弁解をし始めた。
 空からイルミネーションを独り占めしたいなんて、そんな我が儘を毎年言っていられない。それに、ホタルは憧れていたのだ。クリスマスの夜に、着飾った樅の木の下で、恋人同士が交わす口付けに。
 それを聞いたウタカタは、目を丸くして俯くホタルを見つめた。そして、やっぱり女の考えることはわからないと、口の中で呟く。

「それならそうと、早く言えばいいものを」
「自分から言って、してもらっても、意味がないんです」
「我が儘だな、女って生き物は」

 ウタカタはふっと笑って、膝を曲げてホタルと目線を合わせた。そうして唇を軽く重ねると、またホタルの身体を抱きしめ直す。

「えっ……うううウタカタ様!?」
「心配するな。どうせ誰も見ていない」
「見ていないって、でもっ、こんなに人が……!!」
「皆ツリーに夢中だ。わかったら帰るぞ。用件はもう済んだ」

 ホタルを庇うように腰に手を回し、ウタカタはツリーに背を向けた。ホタルは未だ顔を赤らめたまま、されるがままに背中を押されていった。
 人混みから抜け出すと、消えていたクリスマスソングが、また耳に届いてきた。ホタルは何か言いたげにウタカタを見つめながら、赤い顔を必死に隠している。
 ウタカタはそんなホタルに笑みを向けて、大きなシャボンの中に手を引いて導いた。こんな素敵な夜に、わざわざ人に埋もれる事はない。ふたりきりになったクリスマスの空から、ウタカタはツリーを眺めた。天辺の星が、今はよく見える。抱きついてきたホタルを撫でながら、ウタカタは満足気に微笑んだ。





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