恋する女の指先も甘い

 甘い匂いの漂う台所を覗きながら、壁に飾られた時計を見る。時刻は午後6時。おやつの時間はとっくに過ぎ、もう夕食時だ。それなのに、こんなにも台所が甘ったるいのは、今日がバレンタインデーだからだろう。

「師匠のために、今日は私が、腕によりをかけてお菓子を作りますからね!!」

 はりきって買い出しに出かけたのは午前中のこと。それから今まで、ホタルはずっと台所に籠もっている。たまに叫び声やら歓声やらが聞こえる他は、何も聞こえてこない。いい加減腹が減ったのだが、可愛い弟子の努力を無碍にするわけにもいかず、こうして外から見守っていることしかできない。
 それにしても、一体何を作っているのだろう。テーブルの上には、完成したチョコレートがいくつも並べられている。調理にかけている時間を考えて、複数の菓子を作っているのは明らかだ。
 何もそこまで頑張らなくてもと思いながら、顰めっ面でレシピと向き合うホタルは、見ていて面白い。甘いカスタードクリームの匂いに誘われながら、ボウルの中を覗き込んだ。クロムイエローに染まったクリームが、食欲を沸き立たせる。

「あ、ダメですよウタカタ様!まだ完成してないんですから!!」
「そんなことを言ったって、朝からろくなものを食ってないんだ。つまみ食いくらいいいだろう」

 不満げなホタルを横目に、指先をクリームの中に沈ませる。ほどよい甘さに舌鼓を打ちながら、横に並べられたタルト生地を持ち上げる。ハート型の、なんとも可愛らしい形だ。

「それは食べちゃダメですよ。頑張って作ったんですから」
「わかってるよ。それよりホタル、クリームがあちこちに飛びすぎじゃないか?」
「う……、ちょっと泡立て器で失敗しちゃったんです!」

 ホタルの頬についたクリームを拭い、また舐めとる。腹の虫すら鳴かないほどの空腹感に、舌から伝わる甘さが浸透していく。1度食べ始めてしまえば止まらない。またもクリームを掬おうとするオレの手を、ホタルが掴んだ。

「ウタカタ様、もう少しですから我慢してください」
「そろそろ限界だ」
「あとは型にクリームを入れて焼くだけですか、らっ……!」

 諫めるホタルの指にクリームが付いているのに気づき、舌先で舐めとる。ボウルに入っていなければ、つまみ食いをしたって問題はないだろう。そのまま白い指を唇で辿り、腕に飛び散ったクリームを吸い取る。震える腕越しにホタルを見れば、真っ赤になってこちらを見つめていた。

「ウタカタ、さまっ」
「……足りないな。腹が減って死にそうだ」
「っ、だから、今作っているんじゃないですか!離してください、もう!!」

 背中を押され、台所から追い出されると同時に、勢いよく扉が閉まる。何をそんなに怒っているのだろうか。舌に残る甘さを飲み込みながら、開かない扉に、そっともたれかかった。





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