召しませ恋の果実

 ハート型に絞った生地に、色とりどりのジャムを挟んでいく。桃色、萌葱色、象牙色。形を崩さないように箱に詰めて、想いを込めてリボンを結ぶ。
 今日は、乙女にとっての戦争の日。この日のために、何日も前から練習を重ねてきた。箱に入りきらなかったマカロンを1個、口に運ぶ。甘酸っぱいラズベリーは、恋のお菓子によく合う。ウタカタ様はお好きかしら?桃色のそれとウタカタ様を想像して、思わず笑ってしまう。師匠に、こんな乙女チックなお菓子は似合わない。
 けれど、だからこそ、ウタカタ様にはこのお菓子を渡したい。少しは私のこと、女の子として見てもらえるように。

「ウタカタ様」

 襖を開けて、縁側に座るウタカタ様を呼ぶ。小さなシャボン玉に囲まれながら、少しだけ口角を上げて笑ってくれた。後ろ手に箱を隠しながら、ゆっくりとウタカタ様に近づく。高鳴る心臓の音が、師匠に聞こえないように、小さく深呼吸をして、隣に腰掛けた。周りのシャボンが、ぱちんと弾ける。

「何をしていらしたのですか?」
「いつも通り。縁側で空を見上げて、シャボンを吹いていた。ホタルはどこへ行っていたんだ?」
「私は……台所に」

 返事をしながら、後ろに置いていた箱を体の横に持っていく。ウタカタ様の場所からは、私に隠れて見えていないはず。横目でそれを確認して、息を吸い込んだ。

「ウタカタ様、今日が何の日か知っていますか?」
「今日?……なんだ。何かあったか?」

 やっぱり、ウタカタ様は今日を知らないんだ。想像通りの答えに頬を緩ませながら、そっと箱を膝に乗せる。小さな箱に詰まったハートは、私の想い。師匠としても、1人の男性としても、大切で尊敬できる人。これからもずっとお側にいたい。そんな気持ちを込めて、ウタカタ様に差し出す。

「今日は、バレンタインですよ。女の子が、男性に、チョコレートを送る日です」

 両手の中の箱を見つめながら、ウタカタ様がゆっくりと瞬きをする。きょとんとしたその表情に、緊張していた自分が的外れに感じた。箱がウタカタ様の手に渡り、思わず顔をじっと見つめる。黙ったままの顔つきは、何を考えているのかわからない。

「ウタカタ様……?」
「驚いた。そんな日があったとはな」
「今まで知らなかったんですか?」
「ああ。——ありがとな、ホタル」

 笑ってリボンを解いてくれるけれど、この様子じゃあ、どんな気持ちを込めてチョコレートを渡すのかも知らないんだろう。まさかそこまで師匠が疎かったとは。予期せぬ自体に面食らいながらも、開かれた箱に緊張が再び戻ってくる。お口に合うかしら?吐き出されたりしたらどうしよう。そんな不安を抱きながら、ウタカタ様に摘ままれるマカロンを見つめる。

「変わった菓子だな」
「マカロンって言うんです。可愛らしい形でしょう?」
「ああ。味も、ひとつひとつ違うのか?」
「ええ」

 桃色のマカロンが、小さく音を立てて口の中に消えていく。甘酸っぱい恋の味。ウタカタ様は知らないだろうけど、その味に、私は全てを託してきたの。どうか、気づいて。私の、精一杯のキモチ。

「美味いな。ほどよく甘くて、酸味もちょうどいい」
「ほんとう、ですか?」
「ああ。こんな美味い菓子は、初めて食べた」

 そう言って2つ目を口に運ぶウタカタ様に、胸を撫で下ろす。「好き」の2文字は言えなくても、こうして喜んでもらえたのなら——満足している気持ちに、自然と心が素直になっていく。
 風に靡く髪も、細く長い指も、優しく弧を描く目も、薄く私を誘う唇も。ウタカタ様の全てに触れてみたい。けれど、それよりももっと、ウタカタ様のことが知りたい。好きなことも、苦手なものも、ウタカタ様の全てに共感できるように、ウタカタ様に寄り添っていたい。この先もずっと、師弟として、ウタカタ様の傍えとして、隣を歩いていたい。

「ウタカタ様、いつもありがとうございます。私、師匠の弟子になれて、ほんとうに良かった」
「どうしたんだ。藪から棒に」
「藪から棒じゃないですよ。ずっと、思っていたんです。私は、ウタカタ様と、これからも一緒にいたい」

 微笑みながら目を合わせれば、ウタカタ様は少し頬を赤らめながら、私の髪を撫でてくれる。優しい眼差しと、私の名前を呼んでくれる声。恋の果実が弾けるのは、もう少し先のこと。





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