遠い背中

 意識を取り戻すと同時に、身体に痛みが走る。ゆっくりと目を開けると、変わり果てた森の姿が目に入った。辺りを覆っていた木々は、一様に薙ぎ倒されて、葉を散らばしている。地面に手をつき、恐る恐る身体を起こした。蔓延する砂埃に目を凝らしながら、状況を確認する。耳を澄ましても、不気味なほどに何も聞こえない。付近を警戒しながら、立ち上がって身体の傷を確かめる。幸い大きな怪我はしていないようだ。爆風で吹き飛ばされたのだろうか。でも、どうして?滅多に人も通らないような森の中で、爆発なんて起こるはずがない。

「一体何が……」
 
 五感を研ぎ澄ましながら、徐々に道を進んでいく。何か悪いことが始まっているような不安に襲われながら、手のひらを握りしめた。今更引き返すわけにはいかない。息を潜めて、地面に倒れる木を越えていく。額を流れる汗が、やけに冷たく感じた。

「っ……」

 近くで葉の擦れる音を感じ、息を止める。微かな人の気配と、木の枝を踏みつける音。数も複数いる。もし敵だとしたら、今の私の実力じゃ、太刀打ちできない。お座なりにクナイを構え、近づいてくる気配に身構えた。足音が近づき、背中に嫌な汗が流れる。

「え……?」

 頭上を通る人物に、言葉を失った。黒い衣に習うように森を駆け抜ける集団の中に、何度も思い描いた人の姿を見る。構えた右手からクナイが落ち、腕の力がだらりと抜けた。瞳孔が開き、身体が小刻みに震えているのがわかる。瞳に映るその姿に呆然としながら、目の前を通り過ぎる影を見つめた。人影が視界から消えそうになった瞬間、思考を取り戻し、遠のいていく青い背中を追いかける。

「ウタカタ師匠!!」

 はち切れそうな声で名前を呼び、乞い求めた姿に手を伸ばす。何度も名前を呼んでいるのに、ウタカタ師匠は振り向いてすらくれない。唇を噛みしめながら、必死に師匠の後をついていく。足が縺れて、幾度となく転びそうになった。それでも、立ち止まるわけにはいかない。声を枯らして、師匠の名前を叫び続けた。

「待ってください!!ウタカタ師匠!」

 大声を振り立てて師匠を呼ぶと、集団の動きがぴたりと止んだ。やっとのことで追いついて、息を切らしながら師匠を見つめる。師匠たちはこちらを振り向きもせず、人形のように止まったまま動かない。恐る恐る近づき、師匠の身体に手を伸ばす。

「きゃっ!!」

 瞬間、クナイが投げられ、頬に一筋の傷を作った。戦いて師匠を見上げると、無感情の黒い視線で私をじっと見つめている。

「師匠……?どうしたのですか?」

 怖々と問いかける私に答えることもなく、師匠はもう1度クナイを振りかざした。咄嗟に身体を翻し、地面に突き刺さるクナイに声を上げる。逃げ惑う私に、師匠は繰り返しクナイを投げ続けた。細い糸のような傷が、身体のあちこちに血を流していく。

「やめて……師匠、どうして……」

 首を振り、地面に腰を付けながらゆっくりと後ずさる。こんなの、私の知っている師匠じゃない。涙が溢れて、頬にできた傷に染みていった。ヒリヒリと、心の痛みを具現化したかのような感覚に、再び師匠の顔を見上げる。光のない黒ずんだ目。瞳に映る、見たことのない模様。そこにいるのは確かに師匠のはずなのに、師匠は私を見つめていない。震える声で、もう1度名前を呼んだ。ウタカタ師匠。

「もういいだろう。行くぞ」

 黒い衣の合図で、師匠は踵を返して背中を向けた。靡いた着物に手を伸ばすけれど、指先は宙を掴むだけで師匠に届かない。

「いや……師匠、どうして……。————ウタカタ師匠っ……!!」

 静かな森に、嗚咽の混じった悲鳴が空しく響く。遠くなっていく背中は、振り返ることはなかった。





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