07 // 慕う

 埃の積もっていた窓を開け、新鮮な空気を薄暗い部屋へと流す。何年もの間、主を失くしていた部屋は、カラン、と音が立ちそうなほどに殺風景だった。生活感はどこにもない。窓辺に腰を下ろして、懐かしい故郷の景色を眺める。
 薄い靄に覆われた、霧の街。再び此処へ戻ってくる日が来ようとは——あの日の自分がこの状況を見たら、一体何と言うのだろう。

「ここが師匠のお家ですか?随分と埃が溜まって……早く掃除をしないと」

 物珍しそうに首を動かしながら、ホタルが荷物を床へと下ろす。長い髪を束ねてこちらを振り返る姿に、そっと息をついた。

「そんなに急がなくとも、やっと用事が終わったんだ。少しは休んだらどうだ」
「けれど、今日はここに泊まるんですよね?でしたら、埃くらいは片しておかないと。——あ、箒はどこにありますか?私がやりますから、師匠は休んでいてください」

 土蜘蛛の里からほとんど休まずに霧隠れまで来て、よくそんな気力があるなと、我が弟子の元気に苦笑を漏らす。
 テキパキと働き出すホタルに甘えることに決め、再び外へと視線を動かした。
 ツルギに会い、師匠の話を聞いて、オレはまた霧隠れに戻ろうとしている。それが正しい選択なのか、未だわからない。師匠への誤解は解けても、腹の尾獣はそのままだ。オレをよく思っていない連中も、たくさんいるだろう。あまり長居はできないな、そんなことを考えていると、ふいに部屋の中が明るくなる。首を動かすと、ホタルが電球に光りを灯し、溜まった塵をまとめている姿が目に入った。

「だいぶ綺麗になりましたよ!」
「随分と手際がいいな」
「砦にいた頃は、毎日やっていましたから」

 無邪気に笑みをこぼすホタルに微笑みながら、窓をそっと閉めた。故郷に未練がないと言えば嘘になるが、オレにはこの娘との旅のほうが重要だ。あれだけ断っておいて都合の良い奴だと、誰かに笑われようとも、オレはホタルの師匠になることを決めた。

「霧隠れは蒸し暑いだろう。その桐箪笥にタオルが入っているはずだ。風呂にでも入ってくればいい」
「でも、師匠より先にお風呂を頂戴するなんて……」
「気にするな。慣れない長旅で、お前も疲れているだろう。ゆっくり湯に浸かって、休んでこい」

礼儀正しく会釈をするホタルに、弟子をとったのだという実感が湧いてくる。丸くなった自分の感情に小さく口角を上げ、明かりのついた部屋を見渡した。懐かしい、と呟いてみる。

「あ、ウタカタ師匠!これって……」

 桐箪笥を開けたホタルが、小さな紺色の布を差しだした。手にとって広げると、霧隠れの模様が目に飛び込んでくる。

「オレの……額宛て…………」

 右手に光るそれは、確かに里を抜けたときに捨てたもの。なぜこれが今ここにあるのか。考えを巡らし、ホタルとの旅の許可を貰いに行った時の、ツルギの顔を思い出す。あの人が、わざわざここへ届けたのだろう。
 オレが戻ってくるのを予感していたのだろうか。いずれにせよ、今さらこれを手にするのは、複雑な気分だ。そんなオレの心情を知ってか知らずか、ホタルは目を輝かせながら額宛てを見つめていた。

「これって、霧隠れの額宛てですよね?私、1度触ってみたかったんです!」
「額宛て……持っていないのか」
「土蜘蛛の里には、大国のような忍制度がありませんから……。でも、やっぱり憧れちゃいます。一人前の忍を目指す者にとって、額宛ては、実力を認めてもらった証ですから」

 瞳を細めて呟くホタルの言葉に、初めて額宛てを手にした日を思い出す。残酷な試験制度が改変されてから間もなかった、オレの卒業試験。早く一人前になりたくて、必死になって修行をしていた。
 師匠に会ったのも、その頃のことだ。身よりのないオレに、泡遁を教えてくれたのはあの人だった。まだ忍世界の闇を知らない、子どもだった自分の記憶。あの頃のオレも、ホタルのような、こんな輝いた目をしていたのか。

「——つけてみるか?」
「え?」
「額宛て。つけてみるか?」
「そんな!これは師匠が精一杯努力して忍になった証となる、大切なものです。それを弟子の私がつけるなんて……」
「そう言うな。確かにこれを手に入れるのには苦労したが、オレは1度その過去を捨てた。それに、土蜘蛛には額宛てがないんだろう?いい機会じゃないか」

 渋るホタルを引き寄せ、額に布を巻いていく。後頭部にしっかり結び目をつけたあと、手鏡を差しだした。おそるおそる覗き込むホタルの口からは、小さな歓声が上がる。

「師匠、どうですか?」
「ああ、似合ってる」

 嬉しさを隠しきれないように口元を綻ばせるホタルに、いつかの自分を重ねた。
 額宛てを貰い、アカデミーを卒業した日、真っ先に駆け寄った大きく暖かい腕の中。他の子どものように、心から祝ってもらえるのが、何よりも嬉しかった。
 胸の奥に湧き上がる温かい気持ちに、閉めた窓の向こうを見つめる。霧隠れに残る記憶が、全て気持ちの良いものではない。けれど、確かにあの時、オレは幸せだと感じていた。

「ウタカタ師匠?」
「早くその額宛てに負けないような、一人前の忍にならないとな」

 あの時の師匠と同じように、額宛てを巻いたホタルの頭をそっと撫でる。明日、旅立つ前に、師匠の墓参りに行こう。きっとホタルも了承してくれるはずだ。
 繋がれていく想いを感じながら、笑顔で頷くホタルを見つめる。師匠、見ていてください。今度はオレが、貴方の想いを、伝えていきます。





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