足の甲 -隷属-
月明かりに照らされる湯の中に身体を沈め、そっと夜空を仰ぐ。山奥に湧いた天然の温泉は、旅の疲れを癒やすには最適の場所だ。オレとホタルの他には、誰もいない。手の平で湯を掬い、外気に晒された肌を温めるように肩にかける。透明な湯の中で、白い湯着がゆらゆらと波打っていた。「ホタルもそろそろ湯に浸かったらどうだ」
水音を立てながら振り返ると、ホタルは頬を赤くして俯いていた。湯着の胸元を引っ張り、必死に肌の露出を抑えようとしている。その姿に軽くため息をつき、ホタルが腰掛ける縁まで湯の中を泳いだ。白くなめらかな足が、足先だけを遠慮がちに湯に沈ませている。その足を手に取り、湯の中からホタルを見上げた。上気した頬が、湯気にぼやけて、普段よりも色っぽく見える。
「せっかくの温泉だ。ゆっくり浸かって休めばいい」
「でも、湯に浸かったら、湯着が透けちゃうじゃないですか……」
口に出した光景を想像したのか、ホタルはますます頬を赤らめ、湯着を掴む手の力を強くする。それに倣うように、掴んだ爪先にも、少しだけ力が入った。
「何を言っているんだ。湯着が透けるくらい、今さらどうってことないだろう」
「そんなことありません!こんな明るいところで……初めてですし……」
「忍の目は、暗くても明るくても関係ない」
「関係なくても、気持ちが違うんです!!」
声を荒げたホタルは、そのまま夜空に浮かぶ満月を憎らしそうに睨みつけた。月明かりに照らされるホタルの肌は、昼間のそれよりも艶めいている。湯の中からホタルの足を取りだし、月明かりに晒した。白磁の肌から流れ落ちる雫が、小さな波紋をいくつも作っている。指先で足の甲をなぞったあと、雫を吸い取るようにそのまま唇を押し当てた。突然のオレの動作に、ホタルは小さく悲鳴を上げる。
「ウタカタさまっ……」
「確かにこう明るいと、普段よりも気が立つな」
濡れた指を滑らせて、ホタルの腰へと手を回す。抱きつくように膝に頭を乗せると、髪から落ちた雫が、ホタルの太ももの辺りを濡らしていった。白い湯着が肌に貼り付き、裸身のときよりも艶めかしい。離れる素振りのないオレに痺れを切らしたのか、ホタルはため息をついて、髪を解くようにオレの頭に手を当てた。
「もう逆上せちゃったんですか?」
「そうじゃないと、わかっているくせに」
「ウタカタ様ったら、しょうがないですね」
胸に伸ばした手をぴしゃりと叩かれて、仕方なく顔を上げる。艶めいた唇が、呆れたように弧を描いていた。お預けを喰らった子犬のような気分でホタルの足に触れて、すごすごと湯の中に身体を沈める。白い足はオレに掴まれたまま、波を立てるように前後に動いた。満たされないままの滾った欲望に、ホタルの顔を恨めしそうに見上げる。
「私はウタカタ様が上がったら、そのあとゆっくり入ります」
「お前……わざと言っているだろう」
「うふふ、たまにはいいじゃないですか」
蠱惑的に笑ったホタルは、鼻唄まで歌い出してオレの前に爪先を差しだした。それに逆らうことも出来ずに、再び足の甲に口付けを落とす。
「ったく、どっちが師匠かわかりゃしねぇ」
ぼやくように口の中で呟き、気を紛らわすように空を仰ぐ。満月は雲に隠れることもせず、淡い光を地上に注いでいる。大きくため息をついて、ホタルの足に頭をもたれさせた。髪を撫でるホタルの手付きを感じながら、瞼を閉じる。湯に沈んでいく身体に、ホタルの歌声が、やわらかく響いた。