額 -祝福-
深い深い森の中を、ただひたすらに歩き続ける。人里から離れ、近道にと選んだこの森は、どこを見渡しても緑だらけだ。
生い茂る草の葉。地面を這う蔦。時折行く手を塞ぐ枝たち。こんな草木しかないような場所で、今一番求めているそれを見つけるのなんて不可能だ。
見渡す限りの木、木、木、木。いい加減うんざりしてくる。数刻前に、この道を選んだ自分を恨んだ。遠回りでも街を通っていけば、目当ての物が見つけられただろうに。
「ウタカタ師匠、どうされたのですか?さっきからキョロキョロして」
歩みののろくなったオレを振り返りながら、ホタルが小首を傾げる。その姿に、口の中だけで小さく舌打ちをした。
何をとぼけた顔をしてやがる。そもそもお前のせいじゃないか。
湧き上がる不満に気づかないのか、ホタルは曖昧なオレの返事に不思議そうな顔をしながらも、向き直って前に進み始めた。道を覆う葉を、邪魔そうにかき分けている。
「そういえば、師匠。今日は私の誕生日です」
そう唐突に言われたのは、ついさっきのことだ。人里を離れる前、せめて森へ入る前に言ってくれればいいものを、修行第一のオレの弟子は、ふいに思い出したように今更言いやがった。
面を食らったのはオレの方だ。こんな森の中で、緑しかないような場所で、何をしてやれるというのだろう。下手をしたら、今日はこのまま野宿だ。そうなれば目も当てられない。
「こういうことは、もっと早く言うべきだろう」
独りごちたオレの声に、ホタルがまた振り返る。けれどその顔には、きょとんと疑問符が浮かんでいた。オレがなぜ苛立っているのかわからないらしい。
「こういうことって、どういうことですか?」
おい、何だその顔が。お前まさか、自分で言っておいてもう忘れたのか?
だいたいこういうのは、女の方がうるさいはずだろう。やれプレゼントだの、やれディナーだの、そんなものはお断りだ。
……だが、オレだって一人の男だ。惚れた女の誕生日に、何もしてやれないのも格好がつかない。かといってこの森の中だ。オレは一体どうすればいい?そもそもホタル、お前が言うのが遅いから――
止まらない心の声に蓋をするように、何でもないと短く返事をして、ホタルを追い越す。
ホタルに当たっても仕方がない。わかってはいるが、自分の不甲斐なさに情けなくなる。
喧嘩をしたい訳じゃない。それなのに、どうにも機嫌は直ってくれない。
何度目かのため息をついたあと、ふと視界の端にそれはとまった。緑だらけの世界に咲く花は、木漏れ日の光を受けて薄桃色を一段と輝かせていた。凜としたその姿に、ホタルの顔が浮かぶ。
「ホタル」
名を呼び振り返ると、ホタルは短く返事をしてオレを見上げた。頬に泥がつき、髪には葉が数枚絡まっている。健気なその様子に、胸が締め付けられる気がした。
「……お前には、こっちの方が似合うな」
髪についた葉を落とし、代わりに見つけたばかりの花を一輪、ホタルの髪に挿す。頬の泥を指で拭うと、心なしか赤く色づいたように見えた。
「あ……えっと、花、ですか?」
「ああ。あいにく、こんなものしかあげられないが」
「そんな……嬉しいです。とっても」
はにかむように礼を言うホタルに、胸を覆っていた靄がすっと晴れていった。
オレはただ、ホタルの喜ぶ顔が見たかっただけだ。毎日修行に明け暮れて、年頃の女らしい遊びもできない弟子に、何かしてやりたかっただけだ。
「誕生日おめでとう、ホタル」
はじめからこうしていれば良かったと、喜ぶホタルの額に口づけを落とす。
森を抜けたら、改めて何かくれてやろう。その花に負けないくらい綺麗な髪飾りも良いかもしれない。
そんなことを考えながら、今度こそ赤く染まったホタルに、微笑みを返した。