Halloween is coming again this year.

 音が消え、風が止み、夜が全てを包んだ時、彼らは動き出す。息を潜めて耳を澄ませれば 、ほら、すぐそこに。耳のすぐ横、頭の上、そして、足の先…………至る所で、魑魅魍魎の類が今か今かと貴方を狙っている。姿に気がついて悲鳴を上げれば、そこでお終い。あっという間に彼らに取り込まれて、闇の一部となってしまう。

 魔女が飛び、黒猫が現れ、月が笑うとき、ハロウィンがやってくる。



 真暗な夜の空に、黒猫の鳴き声が響き渡る。夜の女王の嬌笑のような三日月が、細く弧を描いて暗闇の中に浮かんでいた。森の中では、ゴブリンが黒猫を追いかけ回している。遠くの霊園では、ゾンビが今か今かとその時を待ちわびていた。その墓の上では、フランケンシュタインが頭の釘を撫でながら、夜の女王に微笑みかける。
 季節は夏を過ぎ、秋の色に染まっていた。木々の葉が色づくように、普段は闇の中で眠っている魔物たちも色めき立っていた。ある者は宴の準備に勤しみ、ある者は踊り狂い、時にその歌声が断末魔のように森に響いていた。そんな夜の森の上を、ふらふらと1人の少女が飛んでいる。箒の柄を両手でしっかりと握りしめ、歯を食い縛りながら遠く光る墓地の灯りを見つめていた。頭の上に乗っかったトンガリ帽子が、彼女を心配するように垂れ下がっていた。少女の額に、冷たい夜には不釣り合いな汗が滲む。

(もう少し、もう少し……)

 呪文を唱えるように、ホタルは心の中で繰り返した。不安定に上下する箒は、ホタルの心臓を高鳴らせる。魔女への昇格試験までは、あと2週間を切っていた。魔女になるには15歳までに昇格試験に合格しなければならない。ホタルは、今年でちょうど15歳だった。今度の試験に落ちれば、永遠に魔女になることはできない。そんな焦りが、ホタルを苛立たせていた。

「っ——きゃあああ!!」

 焦りに集中力が切れたのだろうか。ホタルの乗った箒は激しく回転をし始め、真っ逆さまに森へと落ちていった。眼前に迫る木々に、ホタルは息を呑む。激しい音とともに木の枝が折れ、同時にホタルの悲鳴が森に響いた。近くにいた魔物は、その音に一目散に逃げだし、夜はまた静粛に包まれる。風に吹き飛ばされた葉の音だけが、悲しげに地面に落ちていった。

「いたたたた……」

 打ちつけられた腰を摩りながら、ホタルは顔を歪めた。そして恨めしげに空を睨みつけ、近くに転がっていた帽子を掴む。今日も、上手くいかなかった。ホタルはため息をつきながら、帽子に付いた泥を叩いていく。薬草の調合も、魔女に必要な知識も、全部会得した。けれど、箒での飛行だけが上手くいかない。ホタルは生まれつき、魔力が足りないのだ。元は有名な魔法一家の生まれで あったが、それも昔の話。ホタルが生まれる頃には、一族は廃れ、子孫に伝わる魔力も薄れていった。
 それでも、諦めるわけにはいかないの。
 ホタルは大きく深呼吸をし、帽子を被り直して再び箒に跨がった。意識を集中させると、 徐々に足が地面から離れていく。ゆっくり、ゆっくり、少しずつ……。全身に流れる魔力を一定に保ち、宙へと上がっていく。木々の間をすり抜け、ホタルはまた三日月の下へと昇ってきた。冷たい風が頬をなぜると、ホタルはゆっくりと箒を前に進める。さっきまでと違って、箒が不安定に上下することはない。やった、とホタルは心の中で小さく拳を握った。
 その時だった。遠くの方で黒猫が鳴き、ホタルは研ぎ澄ましていた集中力を、鳴き声のした方へと向けてしまった。それを見透かしたように、箒はホタルの舵を離れ、猛スピードで森の方へと下降していく。必死に体勢を整えようと箒を引っ張るが、引力に逆らうことはできず、枝が折れる音とともに、ホタルの身体は闇の中へと落ちていった。

「きゃああああ!!!」

 縋るような悲鳴も空しく、箒はぐんぐんスピードを上げていく。死を覚悟しながら、ホタルは箒から手を離した。反動で身体が吹き飛ばされ、宙に放り投げられるように背中が反れる。それを待ち構えていたかのように、折れた枝の先がホタルの身体を射るように狙っていた。その鋭さに戦き、ホタルは思わず目を瞑る。
 その姿を追うように、黒い影が地面を踏みしめた。枝がホタルに突き刺さる瞬間に、抱きかかえるようにしてホタルの身体を庇う。そうして音も立てずに地面へと戻ると、顎を引きながらホタルの顔を覗き込んだ。

「なんだ。やけに騒がしいと思って確かめにきたら、人間の小娘か」

 男は残念そうに声を落とすと、ホタルを地面へと下ろした。ホタルは惚けた表情のまま、へたりと地面に座り込み、じろじろと自分を眺める男の顔を見上げた。

「あ、ありがとうございます。助けていただいて……」
「ふん、別に助けたわけじゃない。今日はせっかくの三日月だってのに、悲鳴やら騒音やら煩かったからな。変な悪魔が暴れているようなら迷惑だから、様子を見に来ただけだ」

 そう言うと、男は長い前髪を掻き上げて退屈そうに欠伸をした。細い瞼に縁取られた眼球が、キラリと月の光に反射する。細身で長身の男はそのまま腕を組み、胡散臭そうにホタルを見下ろした。

「ったく、こんな夜中にこんな森の中で、人間の娘が何をしていたんだ」
「私、人間じゃありません!魔女になる資格を持った、真正なる魔女見習いです!」

 人間と呼ばれたことに腹を立てたのか、ホタルは立ち上がって男を睨みつけた。男はそんなホタルの様子に動じることなく、2度目の欠伸をしてホタルを見つめ返す。

「魔女見習いって、ほとんど人間ってことじゃねーか。しかもあの様子だと、魔力もほとんどなさそうだしな」
「うっ……」

 図星を衝かれて、ホタルは思わず顎を引いた。男はその表情を見て、小馬鹿にするように短く喉の奥で笑う。

「わ、笑わないでください!!」
「はっ、せいぜい頑張って修行をするんだな。魔女見習いさん」
「あ……待ってください!」

 立ち去ろうとする男の腕に、ホタルは思い切りしがみついた。男はホタルを振り返ると、あからさまに嫌そうな顔をして唇を歪める。

「まだ助けていただいたお礼も、何もしていません」
「だから、助けたわけじゃないと言っただろう」
「けれど、あなたがいなかったら、私はあそこで死んでいました。命を救っていただいたことに変わりはありません!」
「礼などいらない。去れ」
「それではこちらの気が済みません!せめてお名前だけでも、お教えいただけないでしょうか?」

 懇願するようなホタルの眼差しに、男は大きくため息をついた。腕を振り払おうと肩を上げるが、しっかりとしがみついたホタルの身体は簡単には離れない。数分の沈黙の後、男は諦めたようにホタルの前に向き直り、吐き捨てるように名前を呟いた。

「ウタカタ、だ」

 ウタカタはホタルから目を逸らし、何かを思い出したかのように唇を噛みしめた。そんなウタカタを見上げながら、ホタルは聞いたばかりの名前を、確かめるように復唱する。

「ウタカタ、様」
「おい、どうして様付けなんだ」
「ウタカタ様は、私の命の恩人だからです。さあ、今夜は私の家へ泊まっていってください。何のお持てなしもできませんが、せめてものお礼です」
「お前……人の話を聞いていたのか?礼はいらないと、さっきも言っただろう」
「遠慮はいりません。さ、ウタカタ様。私の箒に乗って、家へ————ああっ!!」

 ウタカタの手を引こうとしたホタルが、両手を顔の前に挙げて叫び声を上げた。その声に、近くにいた蝙蝠が驚いて木から足を滑らせた。ウタカタは眉を顰め、慌てた目で手のひらを交互に見ながら、泣きそうな顔で眉を垂らすホタルを見つめる。

「なんだ。今度は一体……」
「ほうき」
「あ?」
「箒、なくしちゃいました。魔女試験まで時間がないのに、こんな暗闇で、私、どうしたら……」

 言いながら、徐々に声を震わしていくホタルに、ウタカタは面倒くさそうに息を吐いた。俯いた顔には、既に大粒の涙が溢れ出ている。
 この隙に、この場を離れれば——。そんな考えが脳裏に浮かびながらも、ウタカタはその場を離れなかった。本日何度目かわからないため息をつきながら、トンガリ帽子の頂点を 掴み、ホタルの頭に押しつける。

「泣くな、それでも魔女見習いか。仕方がねえ、オレも一緒に探してやるよ。ただし箒が見つかるまでだ。それが終わったら、オレはお前の前から消える」
「ほんとう、ですか?」
「ああ。だからいつまでも悄気返るな。さっさと行くぞ」

 ウタカタは踵を返して散らばった枝を踏みしめる。その後ろを、ホタルは帽子を押さえながらついていった。さっきまでの涙はどこへ消えたのか。三日月のように弧を描くホタルの唇を横目で見ると、ウタカタはまたため息をついた。奇妙な出会いを果たした彼らの後ろを、魔物たちは物珍しそうに眺めていた。