優しい手のひら
ウタカタ師匠は、お昼寝が大好き。人が一生懸命与えられた課題に取り組んでいるのに、師匠はちゃっかり、木陰でお昼寝。これじゃ、今までと変わらない。頬を膨らましてそう言ってみても、師匠は適当な返事を繰り返すだけ。師弟と言うのは手取り足取り、お節介なほど口を出されるものだと思っていたけど、私の思い込みなのかしら。
「しーしょう。……ウタカタ様?」
今日もまた、いつもの繰り返し。新しく教えてもらった、水遁の術。やっとコツが掴めてきて、師匠に見てもらおうと思ったのに。
「またお昼寝ですか?せっかく会得できそうなのに、この術」
わざとらしく独り言を呟いても、師匠はぴくりともしない。ため息をついて池から上がり、師匠に近づいた。青い袖を器用に枕にし、爆睡する姿はさすがと言うもの。私の修業なんてこれっぽっちも見ていない。これで他の女性の夢なんて見てたら、許さないんだから。
「師匠。昨日約束したじゃないですか。今日はちゃんと起きて修業を見るって」
私のやる気が足りないのかも。そう考えて落ち込んでみるも、師匠の寝顔に罪悪感なんてすぐに萎む。こんな師匠だけど、時々するアドバイスは的確で、見違えるほど上手くなってしまうんだから仕方ない。
ウタカタ師匠は、強い人。私はその強さに憧れて、弟子入りした。想像とは違っていても、弟子として師匠の傍にいられて、私は嬉しいの。だから――
「起きないとちゅーしちゃいますよ?」
少し声を大きくして言っても、師匠はぴくりともしない。もう1度ため息をついて、師匠に顔を近づけた。少し傾いているせいで、普段は隠れている左目が微かに見える。薄く開いている唇を塞ぎ、ついでに指で鼻をつまんだ。突然止まった酸素に、師匠は素っ頓狂な声を出し目を開ける。
「ふがっ……ほ、た…る……」
「おはようございます。ウタカタ師匠」
「ったく……起こすならもっと優しく起こしてくれ。オレを殺す気か」
「師匠が悪いんですよ!約束やぶって、のんきにお昼寝なんてしているから」
膨れっ面の私を宥めるように、師匠は苦笑しながら頭を撫でる。それにごまかされないように呆れた目で師匠を睨めば、頭を掻きながら苦笑を強めた。
「寝るつもりはなかったんだ。ただ、今日の天気は心地好くて……そういえば、だいぶ暖かくなったな。もう春のきせ――」
「話を逸らさないでください」
声を低くして、師匠を一喝。やっとのことで謝った師匠に息をつき、隣に座って空を見上げた。師匠の言う通り、今日は暖かい春の陽気。眠くなる気持ちも、わかるかもしれない。
「……怒ってるのか?」
「当たり前です」
「………悪かった」
「もういいです」
ぶっきらぼうにそう言って、師匠のお腹を枕にして目を閉じる。寝心地は悪いけど、師匠の匂いを嗅ぐのは落ち着く。春の青い香りと、嗅ぎなれた師匠の匂い。疲れた体には、うってつけの場所。
「どうせなら、膝か腕にしろよ。格好悪い」
「好きなんです。ウタカタ様のお腹」
「変わったやつだな。……ま、だからホタルなんだけどな」
大きな手の平で優しく撫でられて、疲労がやんわり睡眠に溶かされていく。目が覚めたら、今度こそ修業をつけてもらおう。そしてさっき見ていた夢がなんだったのか、ちゃんと問い詰めなきゃ。でも今は、師匠との幸せな夢が見れれば、それでいい。